今から88年前の1923年9月1日に発生した関東大震災の混乱の中で、朝鮮人武装蜂起などの流言が拡大し、警察、軍隊、自警団による朝鮮人に対する空前の虐殺事件が生じた。一方で、礼拝の説教の中で李明忠氏は「(当時朝鮮人が虐殺されている中にあって)必死に朝鮮人をかくまった日本人の姿があったことを忘れていけません。私たちも同じように『憐れむ心』をもっているでしょうか?これが無くなることによって、国同士や、異なるアイデンティテイを持つ人たちが敵対するようになってしまいます。歴史を超えてキリストの御言葉を実行するには『憐れに思う心』が必要です。今隣人となっている兄弟姉妹を愛し、隣人を愛することができますように。日本と韓国が共に生きていくことができますように」と呼びかけた。
説教本文の箇所では、追いはぎに襲われて、殴りつけられ、半殺しにされた人を当時のユダヤ人の中で異邦人とされ付き合いが断絶されていたサマリア人が憐れに思い、介抱した姿が書かれている。
李明忠氏は「個人のアイデンティティやそれぞれの国のアイデンティティの壁を打ち壊し、キリストにあって大きな働きを起こすきっかけは『憐れに思う心』にあるのではないか」と述べ、本文に出てくる「憐れ」という言葉の原語は「はらわたがちぎれるような思い」という強い意味合いを持つ言葉であることを説明した。東日本大震災で苦境の状況に置かれた被災者たちに対しても、88年前の関東大震災で、虐殺の被害を受けた朝鮮人を憐れに思って必死にかくまった日本人が確かに存在していたことを覚え、同じように「憐れに思う心」を発揮することで大きな働きを起こされていくことを願い、日本と韓国のキリスト者が、キリストの御言葉を実践する者としてこれからも互いに愛し合う関係を築いていくことを呼び掛けた。