東日本大震災の発生から2カ月。国内の教会が、教派を超えて一致する動きが加速している。一昨年の日本プロテスタント宣教150周年記念大会に携わったキリスト教指導者らが呼び掛け、「3・11超教派一致祈祷会」が11日、先月11日に続いて東京都新宿区のウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会で開かれた。先月の参加者数の倍以上となる約250人の教会関係者らが教派を超えて集まり、被災地の復興を祈った。
祈祷会では、先月に引き続いて国内のキリスト教支援団体が活動を報告したほか、福島第一原発から約5キロ圏内にある福島第一聖書バプテスト教会牧師の佐藤彰氏が講演し、地震と津波、福島原発という三重苦の体験を語った。
福島第一聖書バプテスト教会は戦後間もない1947年に始まった歴史ある教会で、地元の人々からも親しまれていた。教会堂は2年前に建て替えたばかりだった。
その教会を、三重の被害が襲った。地震により、ある教会員の家は半壊し、津波により、海沿いに住む教会員の家族とは連絡が取れなくなった。そして、福島原発の事故が起こった。全住民の強制避難が命じられ、教会員は着の身着のままバスに乗り、別々の避難場所に散らされていった。
「宣教の働きはこれで終わりかと思った」。佐藤氏は当時の心境を明かした。しかし、宣教の働きはこれで終わりではなかった。震災直後に連絡の取れる教会員に呼び掛けたところ、約60人の教会員が集まり、集団避難をすることに。教会員の結びつきの強さを改めて実感したという。最初は同県内の会津若松市の教会、次に山形県の教会に滞在し、現在は、東京都内のキリスト教宿泊施設で集団避難を続けている。苦しみと悲しみの中にも避難生活は祝福され、先月は2度の洗礼式が行われ、今月も6人が洗礼を受ける予定だという。
くしくも、3月11日は佐藤氏の誕生日だった。佐藤氏は、「このときのためにすべてがあったのかもしれない。震災に耐えられる教会として神が選ばれたのかもしれない」と語り、最後は「この震災を最後まで乗り切ることができるように」と被災者のために祈りをささげた。
佐藤氏の講演を受けて参加者は、いまなお避難所で生活する人々や被災した教会のため、また原発事故の早期収束など具体的な課題を挙げて祈った。
祈祷会は毎月11日に淀橋教会で開催される。6月11日は、国会災害対策特別委員で衆議院議員の柴橋正直氏を講師に迎える予定だ。