現在、キリスト教系統の宗教団体には、数多くの急進的新興宗派が寄生している。このような集団が発生する原因として、社会的不安定と既成教会の腐敗、無力な霊性に対する反発が主な要因になっている。急進的な新興宗派は純真な教会の聖徒の信仰につまづき与えるだけでなく、社会的にも大きな問題を起す場合が多い。
このような異端の分別については、教派や教団ごとに多様な異端論が存在し、異端を分別して批評する基準は一致していないのが現状である。迅速に日本教会全体が多様な神学路線の様々な「声」を受け入れ、権威を持って判明できる連合的な異端研究が成される必要がある。
神学的な立場の多様性を失わず、より一致して明白に疑わしい急進集団に対する評価ができる方法はあるだろうか。このためには、「どのような「ものさし」を持って急進的な運動を批評するか」という問題が生じてくる。
教会内の新興運動や分派集団に対する評価の方法としては、現在まで一般的に用いられている方法は、公式化されたある神学体系や教理の路線に照らし合わせて分別する組織神学的な接近方法がある。しかし、組織神学的な接近方法による批判は、比較が明確にできるという長点もあるが、一歩間違うと批評者の主観的神学の立場やある特定教団の教理にだけ比重が置かれる恐れがある。ある神学的なイシューが登場した場合、これに対する組織神学的な批判の結論が下されるとき、その結果を日本教界全体が権威をもって受け入れる力が弱くなってしまう。また、各教団の神学者らの教理的立場の食い違いによって互いに分立するようになる事態もあり得る。
したがって、より普遍的で完成した成果を期待するためには、組織神学的検証の幅広い適用とともに、教会史的な照らし合わせによる考察が付け加えられる必要があるだろう。ここで提示するキリスト教の急進的宗派に対する分別法は、一種の教会史的な観点で照らし合わせる方法である。このような分別法を教理的な批評とともに活用するならば、現在、乱舞する異端論の洪水の中で、統一的な見解を持ってエセ(似非)集団を分別でき、彼らの回避できない間違いを判明できるだけでなく、誘惑にあった個人や集団を正しい道に導き出すときに少なからずの力になるであろう。
急進的な信仰路線を見せる現代の集団や個人は以下の三つのパターンのいずれかに、その特徴を見い出すことができる。多くの場合、急進的な集団はこの三つの特性の内、二つ以上を共有している。しかし、その中でも最も明らかな性質がどこにあるかによって、ある一つのパターンに分類することができる。
キリスト教の急進的な宗派のパターン
1.新グノーシス主義(Neo-Gnosticism)型:宗教混合主義
2.新モンタヌス主義(Neo-Montanism)型:啓示的体験主義
3.新ドナトゥス主義(Neo-Donatism)型:教会分派主義
1.新グノーシス主義
紀元後2世紀ごろに霊智主義(グノーシス)が興った動機と、その特性と同じ形で、新霊智主義型の急進勢力が現代にも現れている。以下にこれらの急進集団が現れた動機と特徴について挙げる。
○ある集団では、キリスト教の信仰に他宗教の霊性と信念を混合させ、強力な一つの霊的集団を作ろうと試みる。このような運動は宗教的相対主義、または宗教多元主義の思想によって力付けられ、多くの場合、汎神論的神秘主義の様相を表す。このような宗教混合主義の代表例としては、統一協会(世界基督教統一神霊協会)が挙げられる。
○ある集団では、キリスト教の教理には不合理な要素が多いと不満を言う。したがって、彼らはキリスト教の伝統的な信仰よりは哲学や科学の原理により重みを置いた合理的信念を作り上げる。神智学派(Theosophy)、そして、クリスチャン・サイエンス(Christian Science)などの例がある。
○ある集団はキリスト教の儀式をあまりにも無味乾燥なものとして捉え、礼拝や祈りの中に、東洋的で魔術的なシャーマニズム的な要素を登場させる。聖霊運動や癒しの使役においてニューエージ(New Age)霊性が加勢すること、「丹」や「禅」、または「ヨガ」などの気功法を祈りに適用する試みなどもこのような脈絡で考えることができる。
2.新モンタヌス主義
古代教会に現れたモンタヌス(Montanism)主義を通して、我々は教会が硬直化するときに、いつでも第二のモンヌス主義が生じる余地がいくらでもあるということを歴史の教訓として学ぶようになる。現代に現れた新モンタヌス主義(Neo-Montanism)の形態は次の通りである。
○新しい啓示の可能性を主張する。預言、異言、奇跡などの聖霊の「現れ」(manifestation)を強調する聖霊運動を行う。
○切迫した極端な終末論的なメッセージを強調する。
○信者の道徳的な完成を強調して極端な禁欲主義や神秘主義が導入される。
新モンタヌス主義的な集団として代表的な例は、1917年中国で起こった真イエス教会(真耶蘇教会)などがある。
3.新ドナトゥス主義
これは聖霊論に関連した問題であり、アウグスティヌス(Augusine)の時代、ドナトゥス派(Donatists)は「教会は聖潔な者の集団であるべきだ」と主張し、自ら分離した。しかしアウグスティヌスは、一致、つまり一つになることは教会の最も必然的な性質であるのに、ドナトゥス派は高慢と愛の欠乏によってこのような教会の一致性を壊したと批判した。
現代でも、このような形態の新ドナトゥス(Neo-Donaticism)型の聖霊論を多く見ることができる。自分たちの神学的正統性を過信したあまり、他の教会を抱擁することができない現象である。新ドナトゥス型の特徴は、キリストの体としての真の教会は自分たちだけであると主張することである。代表的な例としては、エホバの証人、キリストの幕屋などがある。