NCC(日本キリスト教協議会)主催の連続講座「いのちの倫理を考える」の最終回が11月30日、東京都千代田区の富士見町教会(日本基督教団)で行われた。全3回で行われた本講座では、第1回のテーマを「いのちの始まりを巡ることがら」、第2回「生きていく過程で遭遇することがら」、第3回「いのちの終わりを巡ることがら」としてそれぞれ、発題者とコメンテーターを交え、生命倫理の諸問題について、会場に集った人々と意見交換を行った。
「いのちの終わり」がテーマとなった最終日には、医療関係者ら4人がコメンテーターとして参加、司会の山北宣久牧師(東京・聖ヶ丘教会、日本基督教団)、NCCの鈴木伶子議長を含む約40人が集った。
クリスチャンで医師の岡安大仁氏(元日本大学医学部内科教授)は、安楽死や自殺を悩みの症状として認識し生きて愛する道を望むことが医療と教会信徒の共通項などと話したほか、「終わりとしての死」という捉え方を考え直す必要があると語った。
クリスチャンで精神科医の平山正実氏は、治療に攻撃的に抵抗する患者を多く担当した経験から、教員、医師、行員、自営業者など、挫折体験も特に無く世間から信頼と尊敬を得ている人々ほど不治の病や死に直面すると攻撃的になる傾向が強いと指摘した。また、農業など「自然を相手に生きる」人たちほど死に直面しても順応出来る傾向が強いとし、「社会の最前線で生きる人と、大きなものに委ねて生きる人との間に違いがある」と分析した。自殺志願者に対して人生の意味を説明するためには信仰が不可欠で、クリスチャンはいのちの大切さについて説明できるように準備が必要と述べた。
診療カウンセラーで看護師の竹内スエ子氏は、年配の老人には将来への不安、医療に対する不信、悩み、怒りが特に大きいため、患者の尊厳を守りながら手を差し伸べる方法を考えていきたいと話した。旧約聖書の創世記と伝道の書を例に「神様は、はじめから終わりのときまで定めてくださった。時があるということを教えていただいているのだから、準備しておきたい」と述べた。死について「誰もが避けたいと思っていること」と率直に話し、死に対する恐怖を理解し合いながら、一人ひとりの魂を背負われるイエス様と天国への希望を伝える役割がクリスチャンにはあると強調した。今秋夫が昇天されたことを明かすと、「家族たちが見守る中、安らかな顔で召されるのを見て皆が安らぎを得た。イエス様を信じて天国に導かれることが主人の笑顔に現れたと思う」と証しをした。
田坂宏氏は、12年前に夫人を胃がんで亡くした経験と生前の闘病生活を綴った日記を読み上げた。最期を家族と一緒に過ごすことが夫人の希望だったことから、本人の意思を尊重したという。在宅看護を選択したことについて「人間の尊厳を守って最後まで生きることが出来た」「家族皆が一緒にいて、家族を感じた」「(3人の子たちが)家族の死に対面して、今後の生き方を考える機会となった」と語った。
最後に質疑応答の時間があり、がん告知(インフォームド・コンセント)について「医師の責任回避として認識されていないか」「患者の視点から、患者のためであることを忘れずに、どう伝えるかを考えて欲しい」といった声があった。コメンテーターからは、がん告知の現状は各国によって多様で、日本は理想から程遠いと指摘した。また、告知する側の医師を支える体制も改善される必要があるとの意見が聞かれた。