1962年9月、ハンセン病療養所への強制収容をめぐり殺人の罪で、無実を訴えながらも死刑になったハンセン病元患者の男性(当時40)の事件を題材にし、差別問題を描く映画「新・あつい壁」が、熊本県合志市にある国立のハンセン病療養所「菊池恵楓園(けいふうえん)」などで撮影されている。
ハンセン病は、以前はらい病と呼ばれ、患者らは歴史的に差別対象として隔離されてきた。1996年4月に「らい予防法」が廃止され、2001年5月には熊本地裁で隔離政策の誤りを認める判決が出る一方、未だにハンセン病患者に対する差別行為、差別待遇は後を絶たない。同映画の監督、中山節夫さん(69)は、「差別は重いテーマ。多くの人が人権について真剣に考えてくれる映画になれば。気を引き締めて臨みたい」と話す。
同映画を「差別された一人の人間の『人間回復』のための映画です」と語るのは、映画製作上映実行委員会委員長で、現在は熊本ひばりヶ丘教会(アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団)牧師として活動するほか、社会福祉法人「神召会」の理事長を務める坂本克明師(73)。坂本さんは当時牧師として、死刑判決を受けた男性の教誨(きょうかい)師を務めていた。
事件当時の状況を知る坂本師は、「彼は『まったくやっていない』と訴えていた。『おかしい』と思い、それからは月1回の面会を続けましたが、62年9月14日に死刑執行。最後の言葉を聞く機会さえ与えられず、翌日に知らされました」と当時を振り返る。
元患者の男性は、本来公正であるべき裁判の場において人間としての扱いをされなかったという。入所者たちの全国組織「全国ハンセン病療養所入所者協議会」(全療協)の調査によると、当時、裁判長自身が証拠品をピンセットで扱っていた。また、法廷は菊池恵楓園の園内で出張形式で行われ、傍聴人もいなかったという。国選弁護人は一審で全く弁論を行わず、現地検証も行わなかったと言われている。男性は完全に憲法の外にいたことになる。
坂本師は「裁判官も検察官も弁護士も皆、ぼろぞうきんのようにこの男性を捨てた」と証言している。
事件の真相は不明のまま。しかし、ハンセン病患者が不当な差別を受け続けてきたことを伝える「事件」の映画化は、事件発生当時を知る中山監督、坂本師、そして当事者らの長年の夢だったという。
映画「新・あつい壁」の撮影には、菊池恵楓園に現在入所しているハンセン病患者も出演する。映画は3月に完成し、4月から東京、熊本や全国各地で上映する予定。映画の実行委員会は、映画鑑賞券となる1枚1000円の製作上映協力券を販売しているが、まだ目標額(1億5000万円)の半分に達していない状況だという。同委員会は「映画を通してハンセン病差別の歴史を知ってもらい、差別の解消に協力してほしい」と広く協力を呼びかけている。詳しくは「新・あつい壁」事務局(096・381・1214)まで。
◇事件の背景
県北の村で1951年、元役場職員宅にダイナマイトが投げ込まれ、近くのハンセン病元患者の男性が殺人未遂容疑で逮捕された。元職員の報告で療養所入所を勧告されたことへの逆恨みとされ、実刑判決を受けたが、控訴中に療養所内の拘置所から脱走。3週間後、元職員が刺殺され、殺人容疑で再び逮捕された。法廷で無実を訴えたが、57年に最高裁で死刑が確定。3度目の再審請求が退けられた翌日に死刑が執行された。