アジアを中心に世界で福音を伝える大衆伝道者、万代栄嗣牧師の講演する集会「万代栄嗣"福音を語る"」が20日、東京・銀座で行われた。東京近辺から、およそ30人の信徒らが集まった。
万代師は、新約聖書ヨハネの福音書5:39〜40から、心の中心にイエス・キリストを迎えたクリスチャンの生がどのようなものであるかを説いた。
「クリスチャンである私たちの人生に、本当にイエス・キリストがいるのか?」万代師は何度も会衆に問いかけていた。
主イエスを信じる者の中に、自分勝手な価値観、人生観の中にとどまって信仰する姿はないだろうか。本当にキリストを受け入れるためには、自分ではない、それよりもはるかに次元の高い思いをもっておられる主と、正面から向き合う勇気が必要となる。
「主よ、あなたの御心はどこにありますか?」「もし、あなたがここにおられたなら、あなたはどうしますか?」万代師は、キリスト者には神の御心を常に求める心が必要であると説いた。
またキリストを受け入れるとは、主の前で自分の罪深さを完全に認めることである。世の中は、しきりに強さを求める。他人に弱さをさらけ出すことなど考えられないかもしれない。しかし、主イエスに向き合うとき、自分の罪深さを素直に認めることが重要である。自分の罪を主の前で認めた者を、主はいやな思いのまま放っておかれるだろうか。決してそうではない。主はすみやかに、罪を正直に告白した者の内側をすっかり変えてくださる。
当時のパリサイ人や律法学者たちは、イエスを受け入れることができなかった。彼らは、自分が変わることを拒否したのだ。現状維持のままでいいという生き方は、真のクリスチャンの生き方ではない。万代師は、「キリストを受け入れるとき、本当に自分を変えることができる」と証しした。
そして、キリストを受け入れることは、「今」変わることだけを意味するのでなく、その人の新しい生き方が「今、動き始めること」だと万代師は語った。
イエス・キリストを受け入れることによって、人は永遠の命が与えられる。キリストを受け入れた者は、神が与えた尊い使命が自分にあることを知るようになる。真の意味で「キリストを受け入れる」とは、ただ口先で「主よ、信じます」と告白することを意味するのではない。主イエスのために「何かをしていく」という実践が伴うものである。
人間の思いと神の思いはしばしば異なる。万代師は、主と向き合うときには、「(自分が)変えられることを求める勇気」を持たなければいけないと語った。そして、聖霊の働きによって偉大な創造主なる神が、小さな一人の人間に人格的に歩み寄り、一人ひとりを限りなく愛される恵みを語りながら、「イエス様から目を離してはいけない」「信仰生活の中心にイエスを呼び戻してください」と熱く呼びかけた。
会衆はみな、主イエスの限りない愛と恵みを再び思い返し、新たな思いでキリストを受け入れる決心をした。