『イエスは、御自分を信じたユダヤ人たちに言われた。「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」』 ヨハネ8:31-32
在日大韓基督教会の特徴を調べてみる。それは第一に、超教派性である。長老派、メソジスト派、ホーリネス派の合同教会として形成されて来た。他教派との宣教協力と協約の締結をする事で、それゆえの様々な信仰スタイルが教会の中に混在しつつ、一つにされている。
第二に、マイノリティ性である。在日としての存在、被差別体験からくる、人権・人間尊厳への取り組みである。これが、痛みをかかえて教会を訪れる人の痛みを共有できる基盤になっている。
そして第三に、多様性である。教会員の告ャは、戦前からの一世、二〜五世の在日の世代、新来者、そしてダブル、韓国・朝鮮人と結婚した日本人、韓国人や韓国に興味を持った日本人など。そのことによる使用言語の二重性、アイデンティティの問題などがあるが、それらを豊かさとしての多様性として具現化しようとしているのが現状である。これらの事柄の上に、在日の歴史を正しく把握して行く必要がある。
一つの例をとってこれらのことを説明する。母親を亡くした50代半ばの女性が、母親の今までの在日としてのつらい体験から、自分たちが日本にいることになった原因を作った祖父母をうらんでいた。その家系は昔の貴族にあたるらしく、韓国に暮らしているおじやおばは豊かに、気位高く暮らしていた。しかし、母は日本で、信仰は篤かったが、大変な思いをして生涯を全うした。自分の母親だけをこのように日本に嫁にやった祖父母をうらんでいたのだった。
しかし、実は戦争当時、軍需工場に借り出されることになっていた娘についての以下のような事実があった。それは、地方の情報を得ることのできる立場にある親たちの中で、娘が軍需工場ではなく従軍慰安婦にされることが多いと知った親たちは、急いで娘を日本本土にいる人のところへ嫁にやり、逃がしたという悲しい歴史があった。
このことを話したところ、それまでずっと恨み続けていたものが、実は母親を助けるための祖父母の、身を裂かれるような行為であったことを知り、恨みはとけた。しかし、知らずにしたこととはいえ、祖父母、両親に対する罪責感に今度は捕らわれることになったが、もはや許しを受けるべき人はみな故人となっていた。
しかし、キリストにある悔い改めと赦しの福音を、現実のこととして受け入れることによって、うらむことを通して縛られていた全ての霊的苦しみから解放された。また、そのような中にあっても、キリストが母を支えていたことを素直に受け入れることができ、母親が死んだら教会をやめると言っていた人が、今では母親の後をついで、兄弟姉妹をも伝道して教会生活を送る人に変えられた。
それは、親との死別という出来事を通して生じた悲嘆の中で、教会員がそばにいてあげることを通して遺族の心がひらかれ、死別を通して生じた霊的悩みやそれまでかかえていた疑問に対して、教会員が正しい歴史の知識をもち、信仰を持って癒しの働きをしていた時、遺族は重荷と罪の意識から解放され、親の信仰を自分のものとすることができた例である。このように、教会と教会員は、悲嘆の癒しの働きに参与していくものである。