カナダの神学校リージェントカレッジの初代学長で「霊性の神学」提唱者のジェームス・フーストン師が2日、上野の森キリスト教会(東京台東区、重田稔仁牧師)で「心の井戸を掘る―ポストモダンの行き着く先を見据えた牧会を目指して」をテーマに公開講演会を開催した。日本でも著書を出版しているフーストン師の講演を聞こうと、東京近郊から信徒や教職者など約50人が参加。講義の本題に入る前の序論として、フーストン師はポストモダン時代におけるキリスト教教会の問題点を指摘し、「今こそ教会が刷新されなければならない」と語った。
フーストン師の講演の前に、坂野慧吉牧師(浦和福音自由教会)が開会のメッセージを伝えた。坂野師は、人々が個を主張し価値観が多様化しているポストモダン時代において、「教会の立場が多様化する」、「聖書解釈が多様化する」などの現象が起こっており、キリスト教界全体が相対化しつつあると問題提起した。さらに坂野師は、「このようなポストモダン時代の風潮の影響を受けて、最近人々が聖書の記述をそのまま真実として受け入れることに疑問を持ち始めている」と指摘。そのうえで「今は古い井戸を掘りなおす時であり、もう一度聖書を深く掘り下げて読み直す必要がある。もう一つは新しい井戸を掘ってみることが必要だ。違う切り口を探し、新しいアプローチで井戸を掘る必要がある」と述べ、教会の抜本的な改革と刷新を呼びかけた。坂野師は、「そうすることでキリストにある豊かな命の水にたどり着くことができる」と主張した。
続いてフーストン師が講演を行った。フーストン師は坂野師の指摘を受け、昨今の時代におけるキリスト教界の問題点とその傾向について自身の意見を述べた。まず日本キリスト教界の進むべき道について言及し、「いま日本のクリスチャンは米国キリスト教界をもう一度見直し、井戸を掘りなおす必要がある」と語った。「今の現実と向き合いながら新しい方法を見つけていく必要がある」とも指摘した。さらに日本の牧師たちに向け、「神学の井戸を掘るためには初代教会の教理と姿勢へ戻る必要がある」と訴えた。
次にフーストン師は「今は時代の過渡期にある」と述べ、ポストモダン時代の兆候について触れた。同師は16世紀のヨーロッパで展開された宗教改革を例に挙げ、「あのときにキリスト教の刷新、井戸を掘りなおすことが必要だったように、今もう一度初代教会のあり方、教会のルーツに戻って新しい試みを目指す必要があると語った。
また、現ローマ教皇のベネディクト16世について言及し、「ベネディクト16世も心の井戸を掘った」と述べた。フーストン師によると、「ベネディクト」という名前を選んだこと自体がベネディクト16世にとって「井戸掘り」であったという。「ベネディクト」という名前の由来になったベネディクトゥスは、6世紀に教会の刷新のために新しい修道院を立ち上げた人物であり、西方教会における修道制度の創始者と呼ばれている。カトリック教会最古の修道会「ベネディクト会」を創立したベネディクトスは、中世初期の混乱した時代においてキリスト教の知的財産や古代文化を守り、次の時代へと継承する役割を担ったという。そのため、現ローマ教皇は現代を混乱した時代と見てキリスト教2000年の遺産を次代に引き継ぐ責務を抱き、「ベネディクト」の名前を自ら選んだと言われている。フーストン師は「正統キリスト教会の中で現ローマ教皇ほど教会の刷新を目指している人はいない」と述べ、ベネディクト16世を賞賛した。
次に、カトリック教会の井戸がどのようにふさがれてきたのかという問題について、フーストン師は「マリア崇拝」の問題を指摘した。フーストン師は「前ローマ教皇(ヨハネ・パウロ2世)はマリア崇拝を取り除こうとしなかった」と述べ、批判した。他方では、「現ローマ教皇は三位一体の神を中心とした神学体系に立っており、『マリア崇拝』を何とかしようとしている」とも語った。
フーストン師は最後に、「イエスは長血をわずらった女性にも声をかけられました。私たちが心を開いて周りの一人一人に目を向けることが大切です」と、主イエスが示された牧会の基本について語った。また、「教会の大衆的な働きばかり見て、今までの伝統と考えに固執すると考えが止まり、井戸を閉じてしまいます」と述べ、古い井戸を掘り直しながら新しい井戸を掘っていく必要があると訴えた。