石川県を激震が襲った25日は、勇文人(いさみ・ふみと)師にとり輪島教会(日本基督教団)の主任牧師として礼拝をささげる最後の主日だった。勇師は27日に輪島市を離れ、金沢市の若草教会に転任することが決まっていた。これまでの歩みを振り返り、神さまの恵みに思いを馳せていたそのとき、悲劇は訪れた。
午前9時42分、ちょうど日曜学校が終わり、分級が行われていた最中だった。能登半島沖で強い地震が発生し、周辺一帯に震度6強の深刻な被害をもたらした。震源地に近い輪島市では数多くの建物が倒壊、けが人が続出した。勇師がそのときの様子について証言した。
地震発生当日、輪島教会には日曜学校に参加した子どもたち6人と、勇師の送別会の準備のために早くから集まった婦人たちを含む大人7人がいた。日曜学校を終え分級が行われている最中、激震が教会を襲った。激しい横揺れ。上から落ちてきた物が生徒の頭にぶつかり軽い裂傷を負った。台所にいた姉妹1人が軽いやけどを負う。教会や牧師館では家具が倒れ、台所に食器が散乱した。礼拝堂や牧師館はなんとか持ちこたえた。
教会周辺で家屋数棟が全壊しているのを見た勇師は信徒たちの身を案じた。教会員に連絡を取ってみると、家屋倒壊などの被害は無かったものの、家財道具が散乱しているとの報告を受けた。地震直後にも関わらず、17人が入れ替わり教会に祈りに来た。普段ならば午前10時半から主日礼拝が行われるが、その日は信徒たちの安全を気遣い、一緒に祈りをささげて来会者を見送った。
教会員の無事を確認できた勇師は神さまに感謝をし、夕方の礼拝を通常通りささげた。礼拝には通常を上回る約15人が集まった。ある家族は片道1時間以上かけて地震で寸断された道路を2往復し、朝の礼拝と夕拝に出席したという。
翌26日、勇師は気になっていた教会員宅を何件か訪ねた。みな片付けに追われているものの、元気な様子だったので安心した。一方、度重なる強い余震により教会の内外壁に亀裂が生じていた。余震が落ち着いた段階で専門家に調査を依頼する予定という。
27日、勇師は転任当日を迎えた。輪島教会には今春東京神学大大学院を卒業した五十嵐成見氏(26)が信徒伝道者として着任するが、若草教会の厚意により、勇師も今後しばらく輪島と金沢を往復しながら輪島教会を支えていくことになった。29日に金沢で五十嵐氏と合流。七尾教会の釜土達雄師にあいさつし、輪島に向かった。五十嵐氏は、輪島教会の教会員たちの自宅を訪問して取次ぎを済ませたあと、4月から本格的に活動を開始する。
「まさか最後の主日に地震が起こるとは考えてもみなかった。しかし、神さまの御こころがあったからここまで守られたのです」と神への感謝を証した。
勇師のもとには現在も見舞いや安否を気遣う連絡が多く寄せられている。震災から6日が経過し、精神的・肉体的な疲労が出始めてきた。教会員や子どもたちの癒しと慰めの必要を強く感じている勇師は、諸教会に対し「震災に見舞われた人々のために祈っていただきたい。ただ祈りが必要です」と加祷を要請した。