日本中のキリスト教会が主イエスの復活を祝い、礼拝を捧げていた25日日曜日の午前9時42分ごろ、能登半島を中心に震度6強を観測する強い地震が発生し、家屋や建物を多数損壊、1人の死亡者と約200人のけが人を出した。地震発生当時、能登半島南部に位置する石川県七尾市の七尾教会(日本基督教団・釜土達雄牧師)では、子どもたちのためのCS(チャーチ・スクール)礼拝が行われている真っ最中だった。安息日を襲った強い地震は七尾教会にどのような影響を与えたのか。また主任牧師の釜土師はその時どのように判断し、どのような行動を起こしたのか。25日に七尾教会で起こった一部始終に迫ってみた。
地震発生時(25日、午前9時42分ごろ)、七尾教会はCS礼拝の真っ最中だった。当日礼拝に参加していのは、子ども8人、教師3人、父兄3人の計14人。礼拝の説教を担当したのは釜土蘭子さんだった。場所は教会に隣接している七尾幼稚園の2階にある和室台所隣の集会室。釜土師は中学礼拝の担当だったがその日は出席者がいなかったため、他2人と共に幼稚園の台所でコーヒーを入れ、10時半から始まる礼拝に向けてしばしの休息を取ろうとしていた。
そんないつもと変わらない平和な安息日に、悪夢は突如として起こった。震度6強の強い地震が発生したのだ。驚く子どもたちを落ち着かせ、席に座らせた。揺れはひどかったがとりあえず建物に異常はない模様。礼拝は中断し、事の成り行きを見守った。
CS礼拝が行われていた場所は築47年の古い建物。幼稚園のある建物は築17年で、強度の地震にも耐えられる鉄骨造であったが、CS礼拝の場所はそうではなかった。「うかつだった。準備が手薄だった」と釜土師は反省する。子どもたちは幸いけが人もなく皆無事だった。
しかし、隣の視聴覚教室と台所の状況はひどかった。視聴覚教室では本棚が転倒し、本が飛び出していた。また、台所の食器棚からは食器がほとんど全て飛び出し、あたりに割れたガラスや陶器の破片が散乱していた。もし子どもたちがいたら、けがは避けられなかっただろう。
当日のCS礼拝の説教が長かったことが功を奏した。普段は礼拝が終わると、子どもたちはみな視聴覚教室や台所へ行くが、その日はたまたまいつもより蘭子姉の説教が長く、礼拝が長引いていたからだ。CS教師と子どもたちは、「蘭子先生の説教がいつもより少し長かったのでシール貼りのお部屋に行く時間が遅れたのでよかった・・・」と当時の状況を振り返った。
その後、損壊する恐れがあった築47年の教会礼拝堂、旧教会教育館(現幼稚園集会室)に行かないようにしながら幼稚園の建物に全員で避難した。そのとき、どうしても2階の台所を通り抜けなければならなかった。とりあえず散乱したガラスの破片を一箇所に集め、道を作って幼稚園2階の多目的ホールから1階の幼稚園ホールに移動した。そして幼稚園ホールでCS礼拝終了の祈りをし、保護者の迎えを待つことにした。
電気は止まり、電話は全く通じず、防災無線では新しい震災情報が次々と流され、消防と警察のサイレンが鳴り響く緊迫した状況がしばらく続いた。電気は20分ほどして復旧したが、電話がかかりにくい状況は長く続いた。もっとも、緊急連絡用の幼稚園の電話は有線電話として機能していたらしく、着信はできなかったが発信は数回に1回成功した。これが大きな助けとなった。
たとえ震災の状況下にあったとしても、主日に礼拝を捧げることはキリスト者の務め。礼拝堂で捧げることは危険だったので、幼稚園ホールで礼拝を捧げる準備をした。家が近くの信徒にはいったん家に帰ってもらった。一方では、近隣に住む住人の何人かが安全な場所を求めて幼稚園に避難してきた。
地震直後のあわただしい状況の中、いつもより15分遅れの10時45分から礼拝を始めた。小さな余震がたびたび起こったが、主が臨在される中、礼拝は平静に進められた。しかし出席者は近隣に住む数名のみ。後から聞いた話によると、怖くて家から出ることが出来なかったり、交通機関がすべてストップしたために移動できずに断念したということだった。それでも、初来会者が3人いたのは嬉しかった。礼拝はいつもどおり11時45分に終了した。
当日は婦人総会だったこともあり、礼拝後には食事の準備がされた。地震発生前に調理が終わっていたのが幸いし、震災直後にもかかわらず礼拝後の食事をすることができたのはよかった。婦人会は出席者6人で開き、5分で全てを承認・可決して解散した。むしろ多くの時間を、割れた食器の後片付けや本棚の整理に費やした。一方釜土師は、一人の長老と共に近隣の教会員を車で訪問し、安否を確かめるなど、信徒たちの心のケアに尽力した。
その後、同じ日本基督教団所属で能登半島にある、輪島教会や羽咋教会の情報も入り始めた。震源に近い輪島市では特に被害がひどいとのことだった。同じく震源地に近いところにある富来伝道所のことも心配になった。けれども七尾から出ることできず、被害状況を関係者たちに報告しながら時を過ごした。
釜土師は七尾幼稚園、羽咋白百合幼稚園、学童保育ゆりっこ児童クラブの3つの施設の園長及び施設長も務めている。同師は、「とりあえず明日、子どもたちを受け入れる体制を作ってから、状況を見てくるつもりです」と25日にホームページに書き記している。
婦人会のメンバーらは、婦人会費で購入した台所の皿や茶碗のほとんどが「埋め立てゴミ」になってしまうのがショックだったようだ。教会の礼拝堂は、外見はしっかりしているが内部に亀裂やひびが見られ、専門家による詳しい調査をしなければ使用が危険な状況だという。
地震直後にも関わらず、七尾教会では釜土師がリーダーシップを取り、普段どおりに主日の礼拝が捧げられた。釜土師は、「よく冷静に対処できたと思う」と25日のことを振り返る一方、「たとえ地震があっても、医者は医者の、警察は警察の、消防隊は消防隊の責任を果たすことに専念するように、私も教会の牧師として礼拝を守る責任を普段と同じように果たしました。自分の職務に忠実に従っただけです」と語った。しかし他方では、「もし建物が崩れる危険があったら礼拝は中止したと思います。実際に被害が大きかった輪島教会では礼拝を中止しました。しかし、私たちが礼拝を捧げた場所は鉄骨造であり、多少の地震では崩れないという認識があったので今回は捧げることにしました。『絶対に守ることができる』という判断ができなければ、人の命を優先し、礼拝を中止したでしょう」と話した。