米・ロサンゼルスで3万3000人もの信徒を持つ南部バプテスト連盟・サドルバック教会の日本伝道チームが12日、日本バプテスト連盟・愛知新生教会(愛知県、坂田世津子牧師)で来日セミナーを開催した。同セミナーの証の場において、チームリーダーの星勝雄(ホシ・カイ)氏(73)が自身の紆余曲折の半生について語り、自身の救いの体験を告白した。
星氏は戦時中、物がなく貧しい時代に農家の次男として生まれた。星氏は日本人であったが顔立ちや色白であったことなどを指摘され、学校のクラスメートたちから「アメリカ人」とからかわれる毎日を過ごしていた。当時アメリカは日本にとって敵国であり、「アメリカ人」というあだ名は極めて侮辱的な言葉だったという。悔しさはあったが喧嘩にも勝てず、「私は一体どうしたらいいのだろうか」と自虐心と絶望感に悩まされる日が続いた。
我慢も限界にきたある日、星氏は思い立った。「このまま虐げられるのはごめんだ。ならば上に立ってやれ。早く学校を卒業していい会社に就職して、早く昇進していい家にも住んで、『農家の次男でもいい暮らしができる』ということを証明して必ず奴らを見返してやる」と。
大学卒業後、星氏はすぐに就職した。就いた会社は外国への出張が多い会社。そのため、必然的に出張でいろいろな国に赴くようになった。外国を見るたびに思った。「日本は何かおかしい」。他国と比べて封建的で世当たりばかりが上手くなっていく日本社会の現状に失望感を抱いた。
その後1960年代に入り、日本は高度成長期を迎える。商社が次々に独立していく時代に入ると、商社の子会社を立て直す仕事が多くなっていった。それで日本国内、イタリア、中南米、東南アジアなどに次々に会社を設立した。また、事業が拡大していく一方でカリフォルニア州立大学院で勉学に励み、卒業も成し遂げた。やることなすことの全てがうまくいった。
しかし、「我々は罪人であり不完全な人間なのです」と星氏は語る。外の世界では華々しく活躍する一方、家庭では妻にきつく当たることが多かったからだ。たとえばこんなことがあった。取引先相手との接待やパーティをする機会が増え、妻も同伴することが多くなった。自分の体裁を守るためか、ただ単に見栄を張ろうとしただけなのかわからない。しかし、同伴する妻に対する要求が次第に強くなった。もっと華やかに明るく積極的に話すように指導した。しかし妻は反発。初めはある程度我慢してくれたが、年を重ねるにつれて家庭での言い争いも増えていった。「その頃は家庭がまるで戦場だった」と星氏は当時を振り返る。
そんな状態が何年も続いた。定年まで隠しておこうと思って、周りの同僚や友人には相談しなかった。仕事を終えて疲れた体で家に帰っても毎日妻と喧嘩する。心が安らぐ時はなく、むしろ妻の小言を聞かされて苛立つばかり。定年退職後にはさらに対立関係がエスカレート。とうとう離婚話にまで発展した。退職後はゴルフ三昧に、おいしいご馳走に、クルーズを買って旅行・・・一生華やかで楽しくハッピーな暮らしを想像していたのに、星氏の人生の歯車が狂い始めた。あまりの苦しさに耐え切れなくなり、苦し紛れに母親やどこかの神仏像に向かって祈ってみたこともあったという。「男は会社では威張っているのに、会社から一旦離れると本当に弱いなぁと思いました」と、星氏は当時の状況について語る。「自分で解決できないなら、誰が解決できるんだろう」。そんなことも考えるようになったという。
そんな自分の人生に疑問を持ち始めたときだった。ひょんなことから米国で開催されていたクリスチャンたちの集まりに参加することになった。そこで質問した。「16億年経って太陽がなくなったら我々人類は一体どうなるのだろうか」と。ちょうどその頃太陽の寿命が16億年だという噂話を耳にして、気になっていたからだ。するとそのセミナーの講師は、「そんなこと知りません。でも何にも心配はしてませんよ。神様は決して私たちを悪いようにはなされない方ですから」と実に簡単に答えた。
愕然とした。開いた口が塞がらなかった。自分は理屈に合った話でないと信じられないような不信感の強い人間だったからだ。口癖は「proof it!(証明してみなさい)」だった。しかし、その講師の答えはまるで説明になっていなかった。何か狐に鼻をつままれたような、自分の価値観を根底から崩されたような感じがした。けれども、そのとき初めて気付いた、「わからなくても信じていればいいのだ」と。一人で温泉に浸かりながらセミナーの余韻に浸っていたその夜、なぜだかわからないが目から涙がポロポロと零れ落ちた。理由はわからなかったが、どこからか温かい幸福感が込み上げた。その夜はいつもと違ってぐっすりと眠れた。
翌日のセミナー最終日、「聖書というのは奥深いですよね」と大勢の参加者の前で証した。他人の前で自分の証をするなんて初めてのことだった。外に出ると目の前の景色がセミナーの参加前に見た景色とは比較にならないくらいに鮮やかに映った。「脳に何か問題が生じたのではないか」と思って教会で聞いてみると、「それは聖霊の御業だ」と言われた。
翌週、ある教会の牧師の誕生日パーティに招かれた際、牧師を通して一つの御言葉が与えられた。
「もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます(ヨハネの第一の手紙1章9節)」
それを聞いた瞬間、星氏は初めて人前で男泣きした。小さい頃から人前で泣くことは「恥」だと教えられていた。だから、今まで決して人前で涙を見せたことはなかった。しかし、今まで心に閉じ込めてきた苦しみ、悲しみ、痛み、弱さ・・・・それを神さまの御前で隠すことはできなかった。「そのとき生まれて初めて周りを気にせずに大声で泣きました。そこから出てきたあの体の軽さは今でも忘れられません。私がいま抱えている罪も、これから犯す罪も、未来も赦されているんだと分かりました。神様を信じることによって、家庭のことや幼い頃から植えつけられていた悪霊観など、今まで恐れていたものの全てが恐くなくなりました。」と星氏は語った。
「その時わたしは69歳。この先何年生きるのかは分からないけど、たとえ死んでも天国に行くという保証をいただけたことも嬉しかったです。心が軽くなりました。今思うと、どうしてもっと早くクリスチャンにならなかったんだろうということばかり思うんですよ。同僚や友人など、周りを見ると同じように家庭が崩れていたり、職場での関係の難しさがあったり、世の中でも犯罪が後を絶たない。神様が救ってくれることを早く伝えないとみんな上に行くんじゃなくて下に落ちちゃう。そのことが分かったとき、『一刻も早く日本に行って伝道しなくちゃ』、という思いに駆られました。」
その後、教会生活を始めた星氏は、ある日娘から「とても良い教会がある。」「You must go!(絶対来るべきよ)」と誘われ、米サドルバック教会に足を運ぶことになった。サドルバック教会は信徒数3万3000人、主日には12回も礼拝を行う米国キリスト教界きってのメガチャーチ。教会の規模や教育システムなど、星氏が今まで通っていた教会とはまるで比べ物にならなかった。感動した星氏は、すぐに米サドルバック教会で献身しようと決心した。それから、星氏はサドルバック教会で、宣教師になるよりも難しいと言われている同教会のリーダーシップ教育、スモールグループ運営、献身ダイヤモンドなど、数多くの弟子訓練を受けた。そして日本伝道チームを立ち上げることになり、今回そのチームリーダーとして来日セミナーを開催することになった。
現在星氏は、日本のキリスト教界と米サドルバック教会の架け橋としての役割を果たすために年に一度来日し、セミナーを開催している。今後は来日の回数を増やしていく計画だという。
星氏は早稲田大、上智大、カリフォルニア州立大を卒業後、プロデオ(ローマ)から名誉博士号を授与される。日系・伊系等の現地新会社を設立、CA、丸紅、クボタ副社長を歴任。Meruzario 東南アジア、中南米現地子会社設立後、NY副社長を歴任、キャノン伊、キャノンUSAの社長を経て97年に退職、現在に至る。