・・・一行はカペナウムにはいった。そしてすぐに、イエスは安息日に会堂に入って教えられた。・・・すると、すぐにまた、その会堂に汚れた霊につかれた人がいて、叫んで言った。「ナザレのイエス。いったい私たちに何をしようというのです。あなたは私たちを滅ぼしに来たのでしょう。・・・」イエスは彼をしかって、「黙れ。この人から出て行け。」と言われた。すると、その汚れた霊はその人をひきつけさせ、大声をあげて、その人から出て行った。・・・こうして、イエスの評判は、すぐに、ガリラヤ全地に広まった。・・・(マルコ1:21〜31)
主イエスは救い主であり、癒し主であるお方ですから、私たちはイエスの恵みを余すところなくいただいていきたいのです。あなたは、クリスチャンとして、今も働いて下さるイエスの御業を信じているでしょうか。ただイエスを漠然と知っているだけではなく、イエスが今も力強い御業をもって私たちのために働いて下さるお方であると信じてまいりましょう。
マルコの福音書から受け止めておくべき大切な事柄をしっかりと学び、信仰の糧として与えられてまいりましょう。特に二つのことを心に刻みつけたいのです。
1.イエスの働きの最初から現わされた、癒しの御業
イエスの癒しの御業は、救い主の大きな働きに、ちょこっと付け加えられた付け足しやおまけとは違い、キリストとしてお働きを始められた最初から、なくてはならないものでした。
マルコの福音書1章には、地上で生きる罪深い私たちとご自分の命を重ね合わせて下さった、イエスの洗礼の記事があります。聖霊が鳩のように天から降り、水から上がられたイエスに、「あなたはわたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ」と天の父なる神の声が響き、父・子・聖霊、三位一体なる神の働きが、いよいよキリストの物語の中に現わされてゆきます。その後、荒野での試みを受けられ、単なるイエスという人物でなく、神から遣わされた救い主として姿を現わし、「神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」と、罪が赦され、神の愛により救われると宣言し、人々を救いへと導き始められたのです。そして、その働きが後々の時代にまで継続するように、後継者として真っ先に弟子たちを選び始められ、その直後から、カペナウムの会堂でのイエスの癒しの御業が始まったのです。
イエスが会堂に入り、人々を教え始められた時、悪霊に取りつかれた人がやって来ます。「私を苦しめに来たのか」と悪霊が言うと、イエスは神の権威で「この人から出て行け」と命じられます。すると長年この男を苦しめていた悪霊が、すぐにその男から出て行き、男は悪霊の支配から解放され、完全に癒されます。人々が、「このお方の御言葉には、権威と力がある、全く新鮮な教えである」と驚くほど、鮮やかな霊的な解放、癒しの御業を行なわれたのでした。
それから、イエスが会堂を出てシモンの家に行くと、シモンのしゅうとめが熱で伏せっていたのですが、イエスが彼女に近寄って手を取って起こされると、イエス一行をもてなすほど元気になり、完全に癒されたのでした。
イエスの本当のお姿を誤解してはなりません。イエスの教えや御言葉が人々に伝わる前から、イエスは癒し主でした。病める者を見つけると癒され、悪霊の働きに苦しむ人々を見ると、霊的な束縛から解放して下さったのです。イエス・キリストの救い主としてのお働きの原点は、癒しの御業にあったのです。癒しは、イエスのあり方と共に欠くことのできないものであることを知りたいのです。
2.イエスと私たちを結びつける、癒しの御業
イエスは、会堂で汚れた霊につかれた男を解放し、シモンのしゅうとめを熱病から癒しただけではありませんでした。この出来事のすぐ後に、「イエスは、さまざまの病気にかかっている多くの人をお直しになり、また多くの悪霊を追い出された」とあります。イエスの癒しの御業は瞬く間に広まり、人々の間で評判となり、イエスご自身がガリラヤ全地をくまなく巡って人々を癒され、ついには、イエスが行く所どこでも、人々でごった返し、表だって動き回ることすらできない騒ぎになっていったのです。
イエスが人々の間で有名になったのは、難しい教えや新しい学説によるのではなく、癒しの御業によるのです。癒しの御業こそが、イエスとしてこの世に現われて下さった神からの救い主キリストと、私たち人間とを結びつけてくれた接点なのです。
イエスの時代から二千年が経ち、私たちは様々な知識やノウハウを持ち、少々賢くなったかもしれません。でも、私たちがどんなに科学的な知恵を持っているからといって、イエスの癒しの御業を軽んじてはいけません。私たちの信じるイエスは、今も変わらず、癒し主です。私たちは、聖霊の働きによって、イエスご自身をこの場にお迎えし、癒されてまいりましょう。
万代栄嗣(まんだい・えいじ)
松山福音センターの牧師として、全国各地、そして海外へと飛び回る多忙な毎日。そのなかでも宗教を超えた各種講演を積極的に行っている。国内では松山を中心に、福岡、鹿児島、東京、神戸、広島、高松にて主任牧師として活動中。キリスト教界のなかでも、新進気鋭の牧師・伝道者として、注目の的。各種講演会では、牧師としての人間観、ノイローゼのカウンセリングの経験、留学体験などを土台に、真に満足できる生き方の秘訣について、大胆に語り続けている。講演内容も、自己啓発、生きがい論、目標設定、人間関係など多岐にわたる。
また、自らがリーダー、そしてボーカルを務める『がんばるばんど』の活動を通し、人生に対する前向きで積極的な姿勢を歌によって伝え続け、幅広い年齢層に支持されている。
国外では、インド、東南アジア、ブラジル等を中心に伝道活動や、神学校の教師として活躍している。