神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ち足りて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかりに与えることのできる方です。(2コリント9:8)
1.洗礼
1983年7月24日のことですが、私は多摩川の上流で洗礼を受けました。川の中にドブン・ドブン・ドブンと3回沈められましたが、川の水があまりにも冷たくて、心臓が止まって死んでしまったような気がしたのを今でもありありと覚えています。
その翌日、おそるおそる私の秘書に「実は私はクリスチャンになって昨日洗礼を受けました」と報告しました。そうしたら、彼女は待ってましたといわんばかりにこう言いました。「そうでしたか。どうも最近先生の様子がおかしいおかしいと思っていたんです。ついに洗礼まで受けてしまったのですか。いったい『おめでとうございます』といったらいいのでしょうか、それとも『御愁傷様』と言ったらいいのでしょうか」。
まさかそんな質問をされるとは夢にも思いもしませんでしたので、一瞬、返事に困ってしまいましたが、とっさに神から良い知恵が与えられました。そして「洗礼を受けるということは、これまで自分だけで生きてきた古い自我が死んで、これからは新しい神の命によって生かされることを象徴していますから、『御愁傷様』と『おめでとう』の両方を言っていただければありがたいです」とクリスチャンとして模範的な回答をすることができました。彼女は何のことかよく判らないようでしたが、とにかくこれから私の人生にとんでもないことが起こるのではないかと期待し、また心配もしたようです。
それからしばらくして、彼女の家のパーティに招かれて家族でご馳走になりに行きました。そしてパーティの打ち解けた雰囲気の中で彼女からこう言われました。「実は佐々木先生がクリスチャンになったと言うので毎日観察してきましたが、何の変化もないので悩んでしまったんです。それで兄に相談したんです。『うちの先生、クリスチャンになってもちっとも変わらないんだけど、どうしてなの』って。そうしたら兄が言うんです。『何でも1つのことを達成しようと思ったら最低10年はかかるだろう。だから、先生のことも10年くらいかけて見てあげないと可愛そうだよ。人間ってそう急に変われるものではないから』って」。
イエス・キリストを信じるようになって私は内面的には「劇的変化」を体験していました。「神を全く信じない者」から「神を全面的に信じる者」へと変えられたわけですから、内心では「180度のコペルニクス的転換」があったのです。それだけに、この秘書の率直な批判は大ショックでした。自分では、内面ばかりでなく、外面の言動も相当変わってクリスチャンらしくなってきたに違いないと思っていましたから・・・。
残念ながらそれから数年後、私の秘書は定年で退職しました。私は良い証しができなかったことを申し訳なく思って、今でも彼女がイエス・キリストを信じることができるように祈っています。
2.10年後の変化
私の行っている教会では礼拝の後にみんなでコーヒーを飲んで雑談する時間があります。ある日曜日に、このコーヒーアワーで知り合いのアメリカ人の弁護士と私の妻とが立ち話をしていました。この方は以前、私どもの事務所で働いてその後アメリカに帰り、再びアメリカから東京の事務所に派遣されて来たのです。妻は彼に質問していました。「私の夫は10年前に比べて変わりましたか、それとも同じですか」。そうしたらその人曰く、「Mr.Sasakiは10年前と比べると全く変わってしまった。全く別人のようです」。私はその会話をそばで聞いていて驚いてしまいました。「全く別人のように変わってしまった」と言われると「そうかなあ、そんなに変わったとも思えないがなあ」と考えてしまいました。
そこで、私は10年間に自分自身にどんな変化があったかを表にして比較してみることにしました。薬の使用前・使用後の比較のように洗礼前・洗礼後の比較表を作ってみたのです。そうしたらそこに驚くべき変化があることを自ら発見することができました。ここにそのいくつかをご紹介いたします。
(1)最も変化の大きいのは、レジャーの過ごし方です
a.ゴルフ
以前の私はゴルフが好きで、毎月3、4回はゴルフをしに行きました。弁護士というストレス産業に従事している者にとって、ゴルフは最高のストレス解消剤です。私の友人の弁護士はゴルフ熱が昂じてゴルフ場の隣に家を買って引っ越し、そこから片道2時間もかけて東京の事務所に通っています。彼は毎週最低3回はゴルフをやるそうです。いつ仕事をするのでしょうか。私はそれほどひどくはありませんでしたが、毎週土・日のどちらかはゴルフに行っていました。ところが日曜日に教会の礼拝に出るようになると、日曜日のゴルフができなくなりました。では土曜日はどうかというと、クリスチャンの集会に出たり、家族の世話をすることが多くなって、ゴルフから遠のいてしまいました。そしてついにゴルフをするチャンスは2年に1回になってしまいました。
b.夜のつきあい
日本のビジネスマンにとって会社の仲間やお客さんとの夜のつきあいは必要不可欠であると言われています。私もこの常識に習って、週1、2回は、麻雀をしたり、料亭、レストランで食事をしたり、誘われるままにバーやナイトクラブに出入りしていました。しかし、クリスチャンになってからは、このような遊びが次第にむなしくなってきて、家で家族と過ごしたり、聖書を読んだり、祈ったりしている方が余程楽しいと思うようになりました。今では、月1、2回、仕事の打ち合わせでどうしても避けられない夕食会議を除いて、夜のつきあいは一切していません。そして、レジャーに使っていたお金は、飢餓で苦しんでいる国々へ送金したりして、有益に用いられるようになりました。
(2)家庭での変化はどうでしょうか
私はもともと家に閉じ込もっているのは嫌いで外でフラフラして時を過ごすのが好きでした。中学生のころから父の家の近くの別棟に住んでいて、食事の時だけ父の家に食べに行っていました。大学生になってからは父の家にはほとんどよりつかなくなり、久しぶりに食事に行くと、「オー、お前まだ生きていたのか」と言われるほどでした。
結婚してからはもちろん1人で出歩く機会は少なくなってしまいました。そのかわり、妻と2人で外出することが多くなりました。妻は虚弱体質であることもありますが、良く言えば芸術家タイプというのでしょうか、作品を造り始めるとそれに没頭してしまい家事が全くできなくなってしまうので、やむなく2人で毎晩あちらこちらで外食をしていたのです。ところが、神の恵みによって子供が生まれてからはそうもいかず、毎日家で食事をするようになりました。今では、妻は家事で精いっぱいのため、夜の育児は私の役目となり、仕事が終わると一直線に家に帰って家族と過ごし家庭を大切にしています。
家庭における最大の変化は、長い間祈ってきましたが、妻がついにイエス・キリストを救い主として受け入れてクリスチャンになったことです。そして、妻は以前は、ぬいぐるみなどの手芸作品を作って、その作り方を一般の出版社から本にして出版しておりましたが、今では、ちぎり絵やペン画によるデザイン絵を作って聖書の言葉をつけてキリスト教出版社からグリーティングカードやカレンダーとして出版するようになりました。
(3)仕事の変化はどうでしょうか
私はいわゆる渉外弁護士(国際弁護士)として長年にわたって、国際的なビジネスに係わる法律問題のみを専門として扱ってきました。ところが、洗礼後10年間における仕事の内容の変化を考えてみますと、キリスト教の教会や宣教・慈善団体に係わる法律問題、クリスチャンや求道者の個人的法律相談、東南アジアやアフリカの方々のビザ取得の問題など、国際的ビジネスには、あまり関係のない事件がかなり増えてきています。しかも、報酬をもらわない無料奉仕の仕事もあり、中には逆に、私の方から依頼人に対して財政的援助をしなければならないこともあります。これも以前の私には考えられないような変化です。
また、通常の仕事についても、これまでのような、とにかく表面的に何とかお金で解決すれば良いという日本的解決方法から離れて、できるだけ神の愛と正義と公平の実現という視点から取り組むようになってきております。そして、あらゆる仕事・事件の解決を全能の神に祈りを通してゆだねていくと、次々に奇蹟的なすばらしい解決が与えられるようになりました。
(4)その他の変化
その他にもいろいろな変化がありました。例えば、テレビやラジオを全く視聴しなくなったこと、新聞・雑誌をほとんど読まなくなったこと、病気になっても祈れば癒されるためめったに病院に行かなくなったこと、喜んで献金するようになったこと、積極的に福音を伝えるようになったことなどがあります。
3.恵みによる変化
信仰を持つ以前と以後では私自身にこのような大きな変化があったわけです。しかし、振り返って考えてみますと、不思議なことに、これらの変化のうち何1つとして「私はクリスチャンになったのだから、こうあらねばならない」と自分で努力して頑張ってやってきたものはありません。すべて私も気づかないほど自然にそうなってきたのです。まさに、「神の恵み」によって変えられてきたのです。私が頑張ったことがあるとすれば、よく聖書を学んで、よく祈り、どんな時にも「神を信頼する」ように努力してきたことだけです。
例えば、私共夫婦には結婚後10年も子供がありませんでした。子供が欲しくなかったわけではありませんでしたが、お互いに仕事が忙しかったり、独りで過ごせるタイプでしたから、子供がいなくても寂しくもなく、そのままずっと気楽にいくのかな、と思っていました。私は夜のつきあいはほとんどしなくなったのですが1つだけ例外があります。それは毎週木曜日の夜、クリスチャンの仲間たちとお祈りをする集会に出てきたことです。私と聖書を学んで信仰を持った方が、この「祈り会」に来るようになりました。ある時その方が言いました。「佐々木さんはいろいろ恵まれている人ですが、1つだけ恵まれていないことがあります。それは、お子さんがいないことです。どうか皆さん、神様が佐々木さんに子供を授けてくださるよう、祈ってください」。私は当惑してしまいましたが、皆は笑いながら祈ってくれました。その方は「祈り会」に来るたびに、私に子供が与えられるように祈ってくれました。そしてしばらくして、子供が次々に2人も与えられました。今では、その方に本当に感謝しています。神はこのように、私が特に望んでいなかったことをも、恵みとして与えて下さってきました。
4.心の内側の変化
しかし、それらの外面的変化に加えてさらに重要な変化は、「神を信頼して生きる」ことを通して、私の心の内に愛と喜びと平安とが増し加えられてきたことです。神を信じ、神と日常の生活を共に生きることは本当にすばらしいことです。神は、私の失敗を益として下さり、いろいろな試練や困難を大いなる恵みに変えて下さいました。こうして、私は不安や恐れから解放されてきました。
聖書には、「神は愛である」と書かれています。また「妬む神である」とも書かれています。聖書を学んでいくと、神は妬むほどに私たち人間を愛しておられ、天地万物の一切を、そしてご自身の命までも与えたいと願っておられることがわかります。私がこれまで体験してきた神の愛はあふれる愛であり圧倒的な愛です。人間を溺愛する愛です。私はただ「愛の神」を信頼し、そのあふれる愛を受け、神の圧倒的な愛に圧倒されていくだけでした。いつも神の愛に満たされていけば、それだけで完全に満足できますから、ほかのものがあまり欲しくなくなってきます。だんだんこの世の執着や損得勘定から解放され自由になってきます。そして、今私は神の無限の恵みによって生かされていることがわかり、これから後も永遠に神の恵みは私に注がれてくることを確信できるようになりました。
5.恵みによって生きるとは
聖書には「神は天地万物を創造した」と書かれています。よく考えてみますと、すべては神の恵みによって与えられていることがわかります。太陽も地球も、空気も水も、いろいろな資源や食料も、人類も、私たちの家族や友人も、私たちの体もその細胞の1つ1つに至るまで、神が造り、恵みによって与えて下さっているものでないものはありません。私たちの命も神の造られたものです。自分の過去を反省してみると、信仰に至る以前から、生まれてこの方私の人生のすべての行程が神の恵みの中にあったことがわかるようになりました。
(1)友人のお嬢さんの死
以前、友人の23歳になったお嬢さんが亡くなられて、その葬儀に出席しました。私は、外国留学中にこの友人のお宅で当時小学生だったお嬢さんとよく遊びました。笑いの絶えない本当に明るい女の子でした。彼女は生まれつき心臓から血液がもれるという病に冒されてきました。お医者さんからは、14、5歳まで生きられれば非常に好運だと言われていました。赤ん坊のころは、お乳を吸う力が弱いため、20分おきに授乳を繰り返して育て、ようやく成長したそうです。幼稚園から大学まで、お母さんが毎日通園・通学に付き添いました。学校の階段を昇る力がないので、授業の都合で階段を昇らなければならないときは、その都度お母さんが背負って昇ったそうです。これは、ほんの一例ですが、そのお嬢さんと日常生活を共にされてきたご家族のご苦労は、口では表現できないものがあったのではないかと思います。何とかしてお嬢さんを癒したいという熱心さからでしょうか、彼女の父親は弁護士でしたが、50歳を過ぎてから「私は医者になる」と言って医学部で勉強し、彼女の弟さんもこの大学の医学部に行きました。
彼女は、自分と同じような苦しみをもって生きている方々を慰め励ましたいと大学で心理学を勉強してカウンセラーになることを希望していました。しかし、時々喀血したり、鼻血がでると血が止まらず洗面器一杯も出血して病院に運ばれるような健康状態でしたから、大学を卒業しても就職先がなかったようです。そういう時に、急な発作が起こってそのままなく亡くなったのです。
彼女の葬儀には数百人の方々が参列しましたが、1時間半にわたる教会での葬儀中、はじめから終わりまで全員が泣いていました。私もどうしても涙が止まりませんでした。私はこれまでも何度もお葬式に出たことがありますが、一度も泣いたことはありません。ただ、「死」という厳粛さに打たれたことがあるだけです。しかし、今回はどうしてこんなに感動して涙が出るのだろうか、と泣きながら考えました。お嬢さんの不幸と苦しみの多かった短い人生を不憫と思ったからでしょうか。彼女のご家族、特にお母さんの犠牲と大きな愛に感激したからでしょうか。もちろんそれらの感情が伴っていたことは事実です。しかし、どうもそれだけではない、何かもっと大きな、もっと本質的なものに動かされてみんな泣いているのだと感じていました。
最後に彼女の父親が涙ながらに挨拶をしました。その挨拶はただ、お嬢さんがここまで生きてくれたことへの感謝と、彼女をここまで生かして下さった神様への感謝と、彼女のために心配して下さった参会者の皆さんへの感謝でした。彼女の家族は彼女の障害のゆえに、大きな苦しみを体験してきましたが、彼女を生かして下さった神の愛は、彼女を通して家族全員に満ちあふれて、苦しみを大きな恵みに逆転してくださったのだと思います。彼女はただ「23歳まで生きた」だけです。特別に親に孝行をしたとか、人々に特に善いことをしたわけではないと思います。いつも人々のお世話になって生かされてきただけです。「医学の常識を越えて生きることができた」だけです。ただ「神の恵みによって生かされてきた」その事実そのものが、私たちをここまで感動させていることに気がつきました。「生命の尊厳」と言いましょうか、「人が今生きている」即ち「人が今神の恵みによって生かされている」事実そのものが、ものすごいことなのだ、本当にすばらしいことなのだ、と思えました。
(2)ヘレン・ケラーの三重苦
目が見えず、耳が聞こえず、口でしゃべることができないという三重苦を生涯にわたって負いつづけたヘレン・ケラーは、イエス・キリストを信じてからは、「人は神の恵みによって生かされている」ことを悟り、喜びと感謝の生活をし、世界中を旅して、これを証しして歩きました。彼女は、あの三重の苦しみにもかかわらず喜んで生きたというよりは、もっと積極的に、「神の許し与えたもうた三重苦のゆえに、いっそう喜びにあふれて生きられたのです」と証言しています。三重の苦しみがあったからこそ、その苦しみのゆえに、彼女はよりいっそう神の助けを求めつづけ、その結果として、神の愛によりいっそう満ちあふれさせていただいたわけです。そして、神の愛は彼女からあふれ出て、数え切れないほど多くの人々を慰め、励まし、彼らに生きる希望を与えたのです。
6.あふれる愛と恵み
まことに、神の愛が満ちあふれてくると、すべての物事を益とし、恵みとしてしまいます。私たちの人生のどんな苦しみも、困難も、失敗も、罪も、神の限りない愛によってかえって恵みに変えられてしまうのです。それは、貝の中に異物が入ったときに、貝がその異物の痛みを和らげるためにこれを貝殻の成分の分秘物で覆っていくうちに、美しい真珠が造られるのと同じです。そして、「死」さえも神の愛に呑み込まれてしまって、「恐ろしい滅びへの呪いの門」から「天国へ通じる恵みの門」となるのです。
私たちは神の恵みによって生かされています。ですから、「生きるために努力して頑張って勉強したり、働いたりする必要はない」のです。いや「恵みによって生かされている」なら、そうしてはいけないのではないでしょうか。かえって逆に、「恵みによって生かされている」がゆえに、「いつも感謝して喜んで生きる」べきなのではないでしょうか。そして、「いつも感謝して喜んで生きる」ことが、時には「勉強したり」、時には「働いたり」という行動となって自然に現れてくるのだと思います。その行動の動機は本質的に、「自分のために」ではなく、「他の人のために」という隣人愛です。それは神の愛の現れであり、自分で努力して頑張るよりも、はるかに力強く、やがてマザー・テレサの働きのように圧倒的な力となって現れてくるのだと思います。「神の愛」即ち「神の命」は私たちに満ちると、次第に川のようにあふれ出て、多くの人々にその恵みが流れ込んで、30倍、60倍、100倍そしてそれ以上の恵みとなって拡大していくのではないでしょうか。
私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあって、圧倒的勝利者となるのです。(ローマ8:37)
佐々木満男(ささき・みつお):弁護士。東京大学法学部卒、モナシュ大学法科大学院卒、法学修士(LL.M)。