二十一世紀への希望
もう十年前の前世紀(二十世紀)末のこと、日本を動かしている政界、官界、財界、法曹界の中枢にいる方々の本音の話を聞いた。共通の結論は、「これからの日本はあらゆる面で衰退の一途をたどるであろう。もはや手の打ちようはなく、全く希望はない。アメリカ経済のバブルがはじければ、日本経済は壊滅だ。早いところ引退して、庭いじりやつぼ造りでもやった方がいい」ということであった。
また、日本、韓国、中国、アメリカの中高生の「来るべき二十一世紀に対する意識調査」の結果が新聞に報道されていた。韓国、中国、アメリカの中高生はそろって、「二十一世紀は希望のあるすばらしい世紀である」と答えていた。日本の中高生だけが、「二十一世紀は希望のない暗い世紀である」と答えていた。
現代日本のリーダーたちばかりでなく、これからの日本を支えリードしていくべき若者たちが、将来に希望を失っているという事実は、非常に重大である。なぜなら、希望こそが、あらゆる障害を乗り越えて明るい夢(ビジョン)を実現していくための目標であり原動力であるからである。
患難が希望を生む
「然のみならず、患難をも喜ぶ。そは患難は忍耐を生じ、忍耐は練達を生じ、練達は希望を生ずと知ればなり」と聖書にある(ローマ5:3〜4)。
これは、東京・六本木の巨大なビルと空間のコンプレックス、「アークヒルズ」の石碑に刻まれている聖句である。一代で世界最大の貸ビル会社を築いた株式会社森ビルの創業者・故森泰吉郎氏の座右の銘でもある。東京のど真ん中に、全日空ホテル、サントリーホール、テレビ朝日社屋、高級賃貸マンション、八百近い法人テナント、レストラン・ショッピング街を有するアーク森ビルを含む「アークヒルズ」を社運をかけて建設した森氏を支え動かした原動力は、この聖句にあるように「希望」であった。
ちなみに、「アークヒルズ」のアーク(ARK)とは箱船のことである。キリスト者であった森氏が、旧約聖書の大洪水を乗り切って救われた「ノアの箱船」の物語から得たコンセプトであろう。この中に、居住と文化生活とビジネスが完結されているという意味が込められている。有名な霊南坂教会もこれに隣接している。
「楽あれば苦あり、苦あれば楽あり」の諺のとおり、個人の人生においても、会社や国家の命運においても、苦楽が交錯するのが事実である。楽なときに喜ぶことは誰にでもできるが、聖書は「患難をも喜べ」と教えている。その理由は、患難は忍耐を生み出し、忍耐は練達を生み出し、練達は希望を生み出すからである。そして、「その希望は決して失望に終わることはない」(ローマ5:5)と書かれている。すなわち「希望は必ずかなえられる」ということである。
日本だけでなく世界の各地に数多くの巨大なビルを建築し、運営していく過程で、森氏は数々の難問にぶつかったことであろう。そしておそらく自分の人生の総決算としてこの聖句を石碑に刻み、多くの人々に「希望」を与えたかったのであろう。「希望」という「アーク(箱船)」に乗ることによって、洪水のような患難を克服できるということである。
不安と失望に満ちている日本にはすでにいろいろな面で苦難が始まっているが、この傾向はますます深刻になっていくであろう。庭いじりやつぼ造りに逃げることもできないかも知れない。
だが、私たちは苦難を逃げないで、苦難に積極的に直面し対決していくべきである。それは苦難に耐える力を生み出してくれるからである。苦難に耐えつづけていくと、苦難の中でもしぶとく生きていける人として成長できるからである。そのように鍛錬された人は、どのような苦しみにあっても、将来に明るい希望を持つことができるようになる。その希望はやがて実現に至り、決して失望に終わることはないと聖書に約束されているのである。
強制収容所の中で
第二次世界大戦中に、ドイツのナチスによって大勢のユダヤ人が強制収容所に送り込まれ、そこで殺され、死んでいった。その中で数少ない生き残った人々は、ほとんど例外なく、将来に対するしっかりした希望を持っていたと言われている。「神が必ず救い出してくださる」、「なんとかしてこのようなことが二度と起こらないような社会を建設するのだ」、「どうしても家族や恋人にもう一度会いたい」等々の希望を持ちつづけた人々が、最後まで生き残ったのである。
日本の将来にどのような苦難が待ち受けているかわからないが、アウシュビッツ等の強制収容所における苦難ほどのものではないであろう。また、私たちがそれぞれ個人的に直面する問題がどのように苦しいものかはわからないが、強制収容所でのユダヤ人たちの苦しみに匹敵することは、ごくまれであろう。いずれにしても、私たちは確固とした希望を持ちつづけることによって、いかなる苦難をも通り抜け、いかなる難問をも解決していくことができるのである。
永遠の希望
このような確固とした希望を持ち、かつこれを持ちつづけるにはどうしたらよいのだろうか。聖書において、神は「希望の神」とも呼ばれている。「希望の神」とは、神が私たちに希望を与えてくださるお方であるということである。自分で造り出した希望は状況の変化によってすぐに消えてしまう。しかし、神から与えられた希望はいつまでもつづくのである。だから、この「希望の神」に信頼し、かつ信頼しつづけることである。
私たちは目に見える状況に流されてはならない。状況は絶えず変化するからである。それは事実ではあるが、永遠に変わらない真理ではない。真理とは何か。それは、「わたしは道であり、真理であり、命である」と言われたイエス・キリストである。キリストを信じることによって、「希望の神」に出会い、「希望の神」に永遠の希望をつなぐことができるのである。
佐々木満男(ささき・みつお):弁護士。東京大学法学部卒、モナシュ大学法科大学院卒、法学修士(LL.M)。