魂のない肉体が死んだものであるように、行いを伴わない信仰は死んだものです。(ヤコブの手紙2章26節)
横浜に向かう私鉄電車の中で、ヤコブの手紙を通読しておりました。通読しながら、この国においてイエス・キリスト信仰告白をどう生きるかについて思いめぐらしました。信仰告白を生きる上で、さしたる困難もないこの国の教会です。ヤコブの手紙に見られる信仰者の忍耐と希望が、どう読まれているのでしょう。何故かしら、言葉にならない徒労感を覚えずにはいられませんでした。
信教の自由が基本的人権として憲法の下で保障されながらも、隠れキリスト者が少なくないような気がしてなりませんでした。イエス・キリストさまを告白するのを恥ずかしく思っておられる「人たち」が少なくないのです。あえて「キリスト者」と呼びません。
信仰告白に導かれて44年が経ちました。自戒の念なしには語れない事柄ですが、教会の講壇から語られる礼拝説教が、イエス・キリスト信仰の説明に低落しているのではと懸念するときがあります。聖書の読み方が決議論的になりがちではなかろうか。したがって、道徳的な教訓を聖書に求めてしまう傾向はなかろうか。愛についての説明を聴くことで、愛を実践しているかのような錯覚に陥ってはいないか・・・。
信仰が観念的な理解に止まってしまうがために、実生活において信仰の実践が伴わなくなってしまいかねないのです。私たちの外面的な不自由は目につきやすいものですが、内面的な心の不自由は目につきにくいものです。実践を伴わない生き方の不自由感を補うために、より教訓的な日常生活に陥ってしまいがちです。
牧師仲間の集まりで散見する場面があります。とにかく話題が込み入って、理屈っぽくなりがちです。事務的な事柄が、事務的に終わらない場合が多々あります。針の先に天使が何人立てるかといった空疎な神学論議に陥ってしまうのは、よろしくないことです。命がけの信仰を生きるという迫害もない時代なので、教会指導者の関心は、もっぱら皮相的な教会成長論でしかなかったりします。ヤコブの手紙を読みながら、改めて自戒の念を強くしました。
ところで私たちの日常生活はどうかすると、信仰告白がどう生きるかという命がけの課題ではなく、暮らしの中のややこしい人間関係のトラブルをめぐる問題処理に終始してはいないでしょうか。感情処理の巧みな手立てを聖書に求めてしまう傾向を、痛感してなりません。それはそれで見落としてはならないことですが、初期キリスト教宣教(便宜的に、そう表現します。)に命がけで生きたキリスト者に向けて書き記された、生々しい闘いの御言葉を、読み取っていかねばならないでしょう。
ところでヤコブの手紙全体を通読して思うことは、希望の忍耐に生きた初代キリスト者たちを励まし、戒めるための書簡であるということです。信仰の闘いに生きるキリスト者のために書かれた実践の書であります。そして信仰を実践することは、日曜日毎に教会に通い、会堂礼拝をささげることで完結してしまうものではなく、礼拝を通してこの世に遣わされ、実践に生きるということです。ヤコブの手紙は繰り返し、信仰の実践をこう勧告します。「信仰もこれと同じです。行いが伴わないなら、信仰はそれだけでは死んだものです」(ヤコブの手紙2章17節)。
そこでいきなり具体的な事柄になりますが、信仰の実践に生きることは、とかくややこしくなりがちな人間関係を、和解と赦しの福音に生きることに他なりません。とにかく祈りましょう。更に続けて祈りましょう。どんなに責めるべきことがあっても、赦し合いましょう。主があなたがたを赦してくださったことを真っ先に自覚し、既に赦されている事実を知るが故に赦し合うのです。
どうかすると後ろめたい贖罪意識でしかない言葉と行為であったりする場合もありますが、私たちは既に赦されています。であればこそ、赦し合うのです。目に見えない霊の世界を御支配くださる神さまの御力を信じ、聖霊さまの御導きによって、出来事が起こされるように祈るのです。必ずや現状打開の出来事が起こされます。それを確認することができなくても、人知を超える神さまの平和が、わたしたちの心と考えとをキリスト・イエスさまによって守っていただけるのです。これは、説明ではなく実際(実践)なのです。
津波真勇(つは・しんゆう):1948年沖縄生まれ。西南学院大学神学部卒業後、沖縄での3年間の開拓伝道、東京での1年間の精神病院勤務を経て1981年7月、多摩ニュータウン・バプテスト教会に着任。現在に至る。著作に、「マイノリテイ(少数者)の神」(1985年)、「一海軍少将の風変わりな一生の思い出」(1990年)、「出会い」(齋籐久美・共著、1991年)、「讃美歌集・主よ来たりませ」(1993年)、「沖縄宣教の課題」(2000年)。作曲集CD「生命の始まり」(1998年)、「鳥の歌」(2003年)。