祈りの時間が長くても短くても、アーメンとの真実の祈りには答えがあります。
それはイエス・キリストの約束です。「またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう」(ヨハネ14:13〜14)
熱心に祈り求め続けることは素晴らしいことです。それを否定する理由はひとつもありません。日本救霊への求め、健康の回復、必要への求め、家族の救い、経済の安定や事業の拡大、教会の祝福等々のために祈りがささげられています。
生駒聖書学院の祈祷室では、毎週土曜日朝5時から夕方まで祈り続けている韓国の牧師たちもあります。神学生たちといっしょに早朝5時起きで猛声の祈りです。教会でも祈りの集会が多く開かれています。
毎日ゆとりの一万歩で、歩きながらも祈り続けます。特に日曜日は奈良、大阪、堺と3箇所で礼拝メッセージなので、力を入れて祈ります。
今回はそんな祈りの中で、祈ったことをいったん忘れると願いがかなうことを知って欲しいと思います。実際に忘れてしまっていることもありますが、祈ったことをいつも考え続けていると、まだ答えられない、なぜなのかと自分の不信仰に咎められ、祈る気力すら失われてしまうこともあります。
大阪の教会は新世界にあります。動物園やスパワールド、通天閣や串カツ屋、大阪一の庶民の町で、日曜日は大賑わいです。駐車場の隙間もないほど混んでいます。
出かける前に、「アーメン。駐車場がありました。感謝します」と祈ると、何も考えないで(忘れて)楽しく礼拝に行きます。素晴らしいことに毎週奇跡のように駐車場が空いています。心配してもどうにもならないことに気を使いすぎると、祈りはかえって重荷になることもあります。いっぺん祈ったことを手放してしまうことも大切だと思います。
あるとき、ラジオ放送を続けるうちにテレビ伝道もしたいと、何回か番組に出演したことがありました。テレビ伝道のためになおも祈り続けましたが、しばらくすると本当に忘れてしまい、祈ることもないままでした。しかし最近になって、CGNTVの牧会コラムや本の旅番組に出演するようになりました。願いがかなったと気づき、感謝しています。
祈った願いは必ず聞かれると確信して、安心して神様の愛の御手にお委ねする信仰を与えられれば、「今日もまた天国の一日です!」と宣言し、心豊かに生きていくことができます。お願いしたことは必ず聞かれているとの確信で、恐れや心配から解放され、喜びと感謝にあふれて祈り続けましょう。
「その日には、あなたがたはもはや、わたしに何も尋ねません。まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが父に求めることは何でも、父は、わたしの名によってそれをあなたがたにお与えになります。
あなたがたは今まで、何もわたしの名によって求めたことはありません。求めなさい。そうすれば受けるのです。それはあなたがたの喜びが満ち満ちたものとなるためです」(ヨハネの福音書16:23〜24)
榮義之(さかえ・よしゆき)
1941年鹿児島県西之表市(種子島)生まれ。生駒聖書学院院長。現在、35年以上続いている朝日放送のラジオ番組「希望の声」(1008khz、毎週水曜日朝4:35放送)、エリムキリスト教会主任牧師、アフリカ・ケニアでの孤児支援など幅広い宣教活動を展開している。