「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい」(使徒1:4)
数十年前に初めてイスラエル旅行をした際、エルサレムのオリーブ山にあるホテルで次のような経験をしました。
夜中の12時頃に賛美の声で目覚め、声が聞こえてくる広間へ向かうと、そこでは世界各国から来た巡礼団が合同で賛美と祈りの集会をしていて、リーダーの牧師たちが一人一人の参加者に按手の祈りをしていました。最後にパジャマ姿の私が手招きされて、按手の祈りを受け、何とも言えぬ平安と感謝とがわきあがってきました。日本人は私一人でしたが、あらゆる人種が集まった集会で、翌朝早くに彼らはホテルを出発したようです。
もうすぐ帰天する主が、弟子たちに大切な事を話されました。「エルサレムを離れるな」という事です。これは、ずっと離れるなという事ではなく、一定の期間離れるなという命令です。主はルカ24章49節でも同じ事を語られました。なぜ「とどまれ」と言われるのでしょうか。
1.まもなく聖霊のバプテスマを受けるため
弟子たちは、かつての洗礼者ヨハネのバプテスマでもなく、また自分たちが授けたようなバプテスマでもなく(ルカ24:49)、「聖霊に満たされる」というバプテスマを経験しました。もし、弟子たちが恐れてエルサレムを離れ、ベタニヤあたりで祈っていたら、この聖霊の満たしを経験できなかった事でしょう。
ゼカリヤ書には、終末時のエルサレムの聖霊充満について述べられていますが、私たちにも自分自身のとどまるべきエルサレムがあります。「お取り扱い」というエルサレムを離れずに、そこにとどまり続けて、恵みを頂きたいと思います。
2.心を合わせ、祈りに専念する
聖協団の牧師が教役者会等で一斉に祈る時、そこに聖霊の力を感じます。千葉の聖書学院に入って初めての年会の時、牧師たちの一斉祈祷に私は驚きました。弟子たちは当時、ユダヤ教独特の両手を上げ、声を出しながらの祈りをしました。これが当時の町々村々にある会堂での安息日の祈りのパターンでした。
その後、弟子たちが一致して祈ると、一同は聖霊に満たされ、様々な困難を突破していきました。また、ペテロとヨハネは、エルサレムの仲間たちによってサマリヤに遣わされ、バプテスマを受けただけのサマリヤ人にイエスの御名によって聖霊が下るように祈ると、その通りに聖霊が下りました。
悪魔は、一致して祈っても大した事はないと聖徒を欺き、騙すのが得意です。悪魔は、祈りと聖霊充満には余り関係はないと私たちの思いに働きかけてきます。よく祈る人は、よく赦す人です。十字架で赦されているので、自分も何度でも赦す事ができます。イエス様が祈りと赦しの人でしたから、段々イエス様に似てくるのです。
3.弟子たちの期待と主の計画は違っていた
当時の弟子たちはその信仰生活の中で、イスラエル国家の樹立という政治的な救いを切望しましたが、しかし主の御心は、霊的祝福を与える事にありました。あの時、聖霊を受けなかったなら、彼らは100%政治結社化していた事でしょう。現在のイスラエルのためにとりなし祈る時にも、その関心が政治的解決に行きがちですが、あくまでも彼らの霊的回復が祈りのポイントです。
これは日本のリバイバルのために祈る時にも同じで、政治的、経済的、社会的醜聞で毎日にぎわっていますが、あくまでも日本の霊的な問題の解決が祈りの中心です。個人の問題解決も同じです。国や地域や会社、学校、家庭も大きな霊的ダメージを受けています。教会も霊的ダメージを受けており、教団レベルでもそうかもしれません。
主は弟子たちに、父からの約束を待ちなさいと命じられました。主は、現代に生きる私たちに対しても同様の事を命じられ、またその約束を実現させようとしておられます。神がその約束を果たそうとしておられるのに、ペテロたちは故郷のガリラヤに帰ってしまいました。そこはかつての生活の場でしたから、人生をもう一度そこでやり直すのは難しい事ではありませんでした。しかし、主は「エルサレムにとどまりなさい」と、チャレンジさせようとします。
カンザスシティのマイク・ビックル師は「これから波のように襲ってくる新しい神の働きに心を開き、準備する事が必要だ。イエスのミニストリーのユニークな点の一つは、集会案内や宣伝を決してされなかったのにもかかわらず、大勢の人たちが集まったことです。もし本当に神の権威と力が現されているなら、人々は引き寄せられるように集まってきます」と言っています。
聖霊充満を求める時です。
田中時雄(たなか・ときお):1953年、北海道に生まれる。基督聖協団聖書学院卒。現在、基督聖協団理事長、宮城聖書教会牧師。過疎地伝道に重荷を負い、南三陸一帯の農村・漁村伝道に励んでいる。イスラエル民族の救いを祈り続け、超教派の働きにも協力している。