イエスは日常の仕事にもどらなければならないガリラヤの男たちと離れて、ひとりユダの荒野に向かった。バプテスマを受けた時に注がれた聖なる霊が、イエスを荒野に向かうようにうながしていた。いやむしろ荒野へと追い込んでいたと言うべきだろう。メシヤ活動を始める前にしなければならない一つのこと、それはサタンとの対決だった。イエスは、ユダの荒野で「40日40夜断食」した。
試みる者サタンは空腹を覚えるイエスに3つの誘惑を試みた。3つでありながら、本質的には同じであり、バプテスマを受けてメシヤ宣言したイエスの活動の軌道を狂わせ、イエスの決心から逸脱させようとしたものだ。
まず、「あなたが神の子なら、この石がパンになるように命じなさい」。誘惑のカギのことばは「あなたが神の子なら」であるが、それはメシヤへのタイトルであった。つまり、「メシヤとして成功したいのなら、石をパンに変える」方法を用いよというものだ。イエスのメシヤ決断は、あくまでも十字架にかかって全世界の罪の贖いとして自分のいのちを注ぎだすことであった。サタンは十字架以外の方法を提案したのだ。「十字架にかけられて無残に死んでいく者を、だれがメシヤと信じるか。しかし、石をパンに変えて人々に与えるなら人々は大歓迎して信じることだろう」
イエスは「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』と書いてある」と答えた。これは、人にとってパン以上に必要なものは人を生かす神のことばだという意味であり、また「神のことばを与えてメシヤ使命を遂行する」というサタンに対しての宣言、十字架を負うという自分に対する覚悟の再確認でもあった。
次の誘惑は、サタンが幻の中でイエスをエルサレム神殿の頂に立たせて、「あなたが神の子なら、下に身を投げてごらんなさい。『神は御使いたちに命じて、その手にあなたを支えさせ、あなたの足が石に打ち当ることがないようにされる。』と書いてありますから」と言った。これは不可能な曲芸のような奇跡を行って、はでに登場するなら、メシヤとして大歓迎するに違いないというものだ。
イエスは「『あなたの神である主を試みてならない』と書いてある」としりぞけた。
最後にサタンは幻の中で、イエスを非常に高い山に連れていき、この世のすべての国々とその栄華を見せて、言った。「もしひれ伏して私を拝むなら、これを全部あなたに差し上げましょう」。ついにサタンは本音を見せた。彼は神のようになり、拝まれたいのだ。
イエスは「引き下がれ、サタン。『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えよ。』と書いてある」と答えた。
これからメシヤ活動を行うイエスに対するサタンの誘惑は首尾一貫していた。「十字架を回避せよ。十字架以外にも道がある。より効果的で苦難のない道を選べ」というものだ。
イエスの答えも徹底していた。「十字架以外に道はない。石をパンに変えることをしない。神殿の頂上から飛び降りない。サタンを礼拝しない。ただ、十字架の道を貫く」。すると、一時的だが、サタンはイエスから離れていったのだ。サタンの誘惑は功を奏しなかった。
サタンの誘惑を退けたイエスに、バプテスマのヨハネが捕らえられた、というニュースが入ってきた。イエスが待っていた前兆であり、神からの合図であった。立ち上がる時が来た。ついに、時が満ちたのであった。イエスはガリラヤに向かった。(次回につづく)
平野耕一(ひらの・こういち):1944年、東京に生まれる。東京聖書学院、デューク大学院卒業。17年間アメリカの教会で牧師を務めた後、1989年帰国。現在、東京ホライズンチャペル牧師。著書『ヤベツの祈り』他多数。