御使いは彼に言った。「こわがることはない。ザカリヤ。あなたの願いが聞かれたのです。あなたの妻エリサベツは男の子を産みます。名をヨハネとつけなさい。その子はあなたにとって喜びとなり楽しみとなり、多くの人もその誕生を喜びます」(ルカ1:13−14)
クリスマスおめでとうございます。全世界で、「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように」(ルカ2:14)との祈りが捧げられる季節です。
今年でクリスチャンになって53回目のクリスマスを迎えます。そしてザカリヤへの御告からいつも神の真実にアーメンと祈りを深く導かれます。
父は大正時代、外国航路の船乗りでした。当時は帆船で一度航海に出るとかなりの期間、外国を周りました。当時神戸市に新居を構えた父は、徳之島から嫁いできた妻を、キリスト教会へ誘い、ふたりとも熱心なクリスチャンになりました。
長男が生まれたとき、「すべて最初に生まれる者を、主のものとしてささげなさい」(出エジプト13:12)に従い、牧師は、両親の祈りと願いを受け入れ一仰と命名、献児式を行いました。
船を降りた父は、郷里の徳之島に帰りましたが、同時に信仰をも失ってしまい、共産主義を報じ無神論者になりました。
牧師となるように捧げられた兄は、長崎三菱造船学校で造船技師を目指して学んでいましたが、第二次世界大戦集結により学校も閉鎖になり、種子島で大工になり、酒と喧嘩の明け暮れでした。
志を立て大阪へ出てきましたが、環境が変わっても心は変わらずで、飲む打つ買うの三道楽から堕落の道へとはまっていきました。
いつものように仕事を終え、酒を浴びるように飲んだまま教会の前を通りかかり、誘われて中に入りそのまま寝入ってしまいました。
目覚めよ!の声に、体と同時に心も目覚め、イエス・キリストの十字架を信じ救われました。そして30歳の時に献身を決意し、今でも自分が救われた教会で牧師として仕えています。
30年前に両親が熱心に求めたことがかなえられたことを思うとき、祈りをする勇気と信仰が与えられます。
クリスマスが近づくたびに、「恐がることはない。あなたの願いが聞かれたのです」との、ザカリヤへの天使の御告が、神のことばは生きていて力があることを、改めて新しく思わせてくれます。
祈りの時、様々な恐れや不安に襲われます。こんな事を祈ってよいのだろうか?みこころだろうか?果たして自分のような者が祈って良いのだろうか?
祈りを終わってアーメンと言っても恐れは消えず、祈らなければ良かったと思うときさえあります。
しかし、どのような短い祈りでもアーメンは本音ですという真実の求めです。クリスマスのこのとき、今年一年の祈りが聞かれたと確信し、今まで求めてきたことがまだ実現していなくても、「こわがることはない。あなたの願いは聞かれたのです」とのことばに平安な心で、すばらしいクリスマスを祝いたいものです。
どうか、私たちのうちに働く力によって、私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施すことのできる方に、教会により、またキリスト・イエスにより、栄光が、世々にわたって、とこしえまでありますように。アーメン。(エペソ人への手紙3:20−21)
榮義之(さかえ・よしゆき)
1941年鹿児島県西之表市(種子島)生まれ。生駒聖書学院院長。現在、35年以上続いている朝日放送のラジオ番組「希望の声」(1008khz、毎週水曜日朝4:35放送)、エリムキリスト教会主任牧師、アフリカ・ケニアでの孤児支援など幅広い宣教活動を展開している。