ウェスレアン・ホーリネス教団(東京都台東区)は24日から26日までの3日間、東京・浅草橋教会で第9回定期年会・聖会を開き、同教団の信仰告白を制定した。また、前身時期から長年指導的立場にあった峯野龍弘委員長の任期満了に伴い、小寺徹氏を新委員長に選任。この20年来、日本のキリスト教界全体の一致を視野に入れた同教団の取り組みが、また一つ新たな段階を迎えた。
同教団の源流は1901(明治34)年、日本のホーリネス運動の父とされる中田重治が東京・神田に開いた「中央福音伝道館」にさかのぼる。日本基督教団(以下、日基教団)内では、戦後の1946年に結成された「ホーリネスの群れ」(以下、ホ群)が、その信仰を継承した。
日基教団では、69年の反万博紛争以来、暴力によって教団運営をゆがめようとする造反運動が活発化し、相対化路線の戸田伊助議長(73〜78)任期中には聖書正典、信仰義認、信仰告白を公然と否定する者まで生じた。ホ群は74年に「教団非常時年会」を明らかにし、76年には「教師検定試験受検拒否声明」をホ群教師検定試験受験該当者18名が提出。しかし教団信仰告白を基準とし、教憲・教規に基づいて教師試験を実施する事は、空文化されていった。
この問題でホ群内にも教団に対する複数の立場の違いが生じ、その結果87年3月ホーリネスの群教会連合が教団から独立し、続いて88年5月には信仰告白を土台にキリスト教界全体の一致を目指す諸教会が「ホーリネス福音同志会」を結成し、ホ群から独立した。92年には先に日基教団から独立した「ホーリネスの群教会連合」と後に日基教団から独立した「ホーリネス福音同志会」が、「ウェスレアン・ホーリネス教会連合」を結成。03年には「ウェスレアン・ホーリネス教団」を立ち上げた。
今回制定された信仰告白は、54年に制定された日基教団の信仰告白をベースにしている。それはウェスレアン・ホ−リネス教団が、「聖なる・まことの・唯一の・使徒的・公同の教会」を目指す共同体であることにも通じる。
今回の制定についてウェスレアン・ホーリネス神学院の本間義信理事長は、「私たちの使命と理想に向かって一歩踏み出した出来事。神様が大きな一歩をゆるしてくださった」と語った。
小寺新委員長は年会で、「これまでの路線をしっかり受け止めながら走っていきたい」と新たな決意を表明。歴史のバトンが次の世代へと継承された。