五旬節(ペンテコステ)の日になって、みなが一つ所に集まっていた。すると、突然、天から、激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。また、炎のような分かれた舌が現われて、ひとりひとりの上にとどまった。すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことば(異言)で話しだした。(使徒2:1−4)
クリスマスはイエス・キリストの誕生を祝う日、イースターはイエス・キリストの復活を祝う日、ペンテコステはイエス・キリストの教会の誕生を祝う日です。三つともに共通するのは、誕生日ということです。新しいいのちが生まれるところには、苦しみもありますが、それ以上に喜びがあふれます。キリスト教の特徴の一つは、はじけるような喜びです。クリスチャンは祝いの日の民なのです。
その喜びといのちの躍動を持続させてくださるお方が聖霊です。十字架上に罪をあがない、墓に葬られ、三日目に死人の中から復活したイエス・キリストは、天にお帰りになる前に、「もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです」(使徒1:5)と約束されました。その五十日後、五旬節の日に、約束の聖霊が弟子たちの上に臨みました。復活して天にお帰りになったイエス・キリストの霊、神の霊が、信じる者とともにいつまでもおられるために、降臨されたのです。聖霊に満たされた弟子たちは、今まで語ったことのないことば(異言)で神を賛美しました。
その光景はちょうど新しいぶどう酒に酔っているような状態でしたので、多くの人々がこれはいったい何ごとかと集まってきました。しかし、それは酒に酔ったり、この世の快楽に満たされるような一時的なものではなく、永続する神の国の喜びでした。同時に聖霊の力に満たされて語るペテロのメッセージにより、三〇〇〇人もの人々が救われてバプテスマを受け、ここにイエス・キリストの教会が誕生したのです。それ以来、キリスト教会は燎原(りょうげん)の火のように燃え広がり、現在に至るまで実を結びつづけているのです。
生駒聖書学院に入学したころのことです。聖霊のバプテスマを受けるための祈りがあり、「きょう、もし御声を聞くならば、あなたがたの心をかたくなにしてはならない」(ヘブル4:7)との静かな聖霊のささやきを聞きました。不思議に素直な心になり、自然に手が上がり、祈りと感謝と賛美を献げました。温かなものが心の奥底からわき上がるような感じがして、主をたたえた時、今まで語ったことのないことば(異言)が、静かに熱く力強くあふれ、腹の底から流れ出るような聖霊の満たしと喜びを体験しました。
二〇〇〇年前のペンテコステの日と同じ出来事が、自分の上に起こりました。過去の歴史的な事実だけでなく、そのことを現在も体験できる超自然的な信仰なのです。
聖霊に満たされる時、イエス・キリストはよりリアルなお方として、信じる者とともにおられることを体験できます。
聖書に書いてあるとおり、喜びと勝利に満ちた祝福の人生を生きることができます。神の聖なる思いが、心と行ないを支配し、罪に勝利し誘惑に打ち勝つことができます。
聖霊に満たされる時、力を受けて、地の果てまでもイエス・キリストの救いを伝える勇気が与えられます。神のことばを大胆に語る自由が与えられます。
私は、イエス・キリストを信じてからも、口下手で赤面症で、話をするのが大の苦手でした。しかし、聖霊のバプテスマを体験した直後、一人の青年に福音を語りました。語ったといっても、「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」(ヨハネ3:16)を読んだだけでしたが、彼は涙を流してイエス・キリストを心に受け入れました。後で分かったことですが、彼は逃亡中の殺人犯でした。その後自首して刑を受け、模範囚で出所しました。
聖霊体験をした日から、目に入る生きとし生けるものはみな輝き、創造主の偉大さをいつも賛美する人生を体験しています。自然が輝いて見えるだけでなく、聖書が新しい輝きをもって心に入ってきました。書かれた文字を読むだけでなく、聖霊のことばとしての聖書、知性を満足させ、心を養い、霊を潤し満たす、慕わしい神のことばを実感として読むことができます。
イエス・キリストの福音を伝えることが喜びとなり、ラジオ放送「希望の声」も二十五年を迎えました。それまでは人間嫌いを自負し、人に接することを最大の苦手としていましたが、聖霊によって注がれる神の愛を知った時から、人との出会いを大切にし、隣人を愛することも自由になりました。御霊の実――愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制――などの品性の実を知り、聖霊に満たされ積極的に前向きに生きる喜びを日々体験しています。
聖霊に満たされて生きる時、あなたは真の自由を体験します。今まで理想として追い求めていたあらゆる祝福を、現実として体験することができるのです。イエス・キリストを信じることは、実に偉大な人生への変革であり、聖霊はそのことを可能にしてくださる神様です。
二〇〇〇年前のペンテコステの日を祝うだけでなく、その喜びを今日の喜びとして生きることができるのです。
神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。その日、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。(使徒2:17−18)
彼らがこう祈ると、その集まっていた場所が震い動き、一同は霊に満たされ、神のことばを大胆に語りだした。(使徒4:31)
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榮義之(さかえ・よしゆき)
1941年鹿児島県西之表市(種子島)生まれ。生駒聖書学院院長。現在、35年以上続いている朝日放送のラジオ番組「希望の声」(1008khz、毎週水曜日朝4:35放送)、8つの教会の主任牧師、アフリカ・ケニアでの孤児支援など幅広い宣教活動を展開している。
このコラムで紹介する著書『希望の声』(マルコーシュ・パブリケーション)は、同師がラジオ番組「希望の声」で伝えたメッセージをまとめた珠玉のメッセージ集。放送開始25年を迎えた98年に、過去25年間伝え続けたメッセージの中から厳選した38編を紹介している。