アブーナ・サマーンが奉仕する教会は、力強い神の導きのもと拡大し続けた。(前回はこちら、第1回から読む)
1990年、最初の洞窟が3千人を収容する講堂に改築され、働きは軌道に乗った。この教会では、エジプトの全てのキリスト教の教派が歓迎された。岩から削り出された美しい教会と彼らの奉仕の場は拡大し続け、平和なオアシスには、現在6つの洞窟教会と2万5千人を収容する大聖堂がある。近くには特別支援センターと11階建ての最新鋭の病院がある。
さらには、そこからおよそ130キロ東の、カイロとアレキサンドリアを結ぶ砂漠の道であるワディ・エル・ナトルーンに、千人を収容できるカンファレンスセンターを設立したのだ。
カイロのタハリール広場にあるカスル・エル・ドバラ福音教会の牧師で、サマーンの親友であるサメ・モーリスは、「彼は本当に信仰の英雄と呼べる人です。何千、何万もの人々をキリストのために獲得するため、彼はゴミ収集人たちの中で生活し、彼らの一人として奉仕し、己の人生を放棄したのです」と述べた。
ローザンヌ運動のダグ・バーズオール氏はこう言った。「私が初めてゴミの村を訪れたとき、その光景と鼻をつく悪臭に苦しめられ、卒倒するかと思いました。しかし、彼に会ったとき、私はさらに驚かされたのです。私の目に入ってきたものは、圧倒的な愛と憐(あわ)れみ、そしてイエスの香りでした。私はその場を決して立ち去りたくない思いに駆られたほどです」
しかし、その歩みには決して小さくない代償を伴った。それは、彼が広範なミニストリーを展開する上で遭遇した多くの財政危機、物的危機、法的な困難よりもはるかに大きなものであった。アブーナ・サマーンが多くの人に知られ、愛されるようになった後、彼はコプト教団の一部の指導者たちから「あまりにもプロテスタント的だ!」と非難を受け、反対されるようになった。こうした非難は、彼と彼の群れを大いに落胆させたのである。
しかし彼の葬儀で、コプト正教会はその功績を大いに称えたのだ。ユアニス司教は目に涙を浮かべながら、神に賛美と栄光を返し、アブーナ・サマーンの働きへの感謝と哀悼をささげて弔辞を述べ、参列の人々を驚かせた。
ユニアス司教は「この歴史的な規模の集まりが、この世を去るあなたへの見送りだとしたなら、天国に迎えられるあなたの歓迎は、どれほど一層大きな歓待となったことでしょう」と述べたのである。
当初「ゴミの街」での奉仕に恐れさえ抱いた一人の植字工に過ぎなかった若者が、自分の召しに従い、献身の決意に立ち上がって始めたその小さな働きは、世界中にとどろくような大きなものとなって実を結んだ。
神が全地をあまねく見渡して探しておられるのは、福音の前に自分を完全に放棄し、ことごとく屈服した「たった一人」なのではないだろうか。願わくば、主なる神が、中東の代表的なイスラム国の一つであるエジプトで、第二、第三のアブーナ・サマーンをお見つけになられるように。エジプトの福音化のために祈っていただきたい。
■ エジプトの宗教人口
イスラム 86・7%
コプト教会 11・6%
プロテスタント 0・9%
カトリック 0・4%
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