第48回日本ケズィック・コンベンション箱根大会が24日から26日までの3日間、神奈川県の箱根ホテル小涌園で開かれた。全国42の教団教派から教職や信徒ら410人が参加。初日のバイブル・リーディングで主講師のロバート・エイメス博士は、教団教派を超えて日本のキリスト者が「みなキリストの前に腕を組んでともに立ち上がるものとならなければならない」と力を込めた。
エイメス博士は、フィリピの信徒への手紙2章1節から11節を本文に、ケズィックのテーマである「みなキリストにあって一つ」(ガラテヤ3:28)を主題に講演した。
使徒パウロは手紙の中で、「あなたがたは一つの霊によってしっかり立ち」(同1:27)とフィリピの信徒たちに勧めている。エイメス博士は、この箇所についてパウロがまるで「綱引き」の競技をイメージして書いているようだと語った。競技に勝つためには、立つのによい場所を選んでしっかりと立ち、また皆が心を一つにして綱を引かなければならない。エイメス博士は、「いま福音は様々な攻撃を受けている。この力に私たちが霊を一つにして立ち上がらなければならない」と訴えた。
本文で使徒パウロは、「キリストによる励まし」「愛の慰め」「"霊"による交わり」「慈しみや憐れみの心」(2:1)がすでにフィリピの信徒たちの中に豊かにあることを確信しつつ、それならば、「同じ思いとなり、同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つに」(2:2)するよう訴えている。エイメス博士は、フィリピの信徒たちの中にあった祝福は、現代の日本でキリストの深い愛を味わっている多くのキリスト者にも「雨のように注がれている」とし、それならば、みながキリストにあって同じ思いとなり、同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つにすることで、これに応答しなければならないと訴えた。
エイメス博士は、それぞれの教派の持つ教義の違いは「キリストにあって一つ」という大きなテーマに比べれば「2次的なもの」であると強調。福音を揺るがす勢力の拡大した現代の危機的な状況の中で、イエス・キリストが十字架上ですべてのことを成し遂げてくださったことを信じる者たちであるならば、「一つとなって立たなければなりません」と訴えた。
また、「へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え」(3)とあるとおり、「私たちはキリストの前に自分の愚かなプライドを持つためでも、自分のことだけを考えるために召されたのでもなく、(キリストの共同体)全体にとって何が最善かを求めるために集まっている」と語った。
さらに本文には、「めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい」(4)とある。エイメス博士は、この考えに従って歩んでいるはずの教会の中にも、ときに他人を押しのけ、自分の利益、または自分の教団の利益だけを求めて行動する姿があり、それは「大きな罪」だと指摘。イエス・キリストについて、永遠なる存在でありながら一人の人間としてこの歴史に介入し、ご自分を低くし、十字架の死にまで従い、これ以上低くなることが不可能なまでにご自分を低くされた方であると強調し、「私たちはキリストと同じ心を持つものとならなければならない」と訴えた。
最後にエイメス博士は、キリストの十字架の死はただ「私たちの罪の身代わりのため」であり、「神の栄光が凝縮されたもの」だと強調。「キリストの御名の中に生きる者で、いったい誰が自分を誇るのか。自分の立場を誇るのか。御名以上にうるわしい御名はない。キリストの心を持つものとなり、キリストにあって一つとなるように」と訴えた。