100年に一度の大経済危機の中、景気の回復や社会情勢の低迷打破への主導的働きをなすべき肝心の日本の政治が安定しません。政治には全くの素人の私が見ていても、何だかふらふらしている感覚を抱いてしまいます。小泉元首相の長期政権以降、安部元首相、福田前首相と一年も持たない内に日本の指導者の顔が変わって、最近ではどうも麻生首相の足元も相当危くなくなってきました。
麻生首相本人の話題だけでなく、先週はすでに辞任した中川財務大臣のパリG7での変てこな会見など内閣総出演で不安定さを演出しています。"ろれつが回らない"のか"酩酊状態"なのか"眠くてたまらない"のか、表現は様々ですが、日本を代表する大臣が国際会議で見せるべき態度でなかったのは一目瞭然。実に情けない光景でした。無責任な野党と一緒になって"やめろ!やめろ!"の大合唱に乗る気は毛頭ありませんが、それにしても日本国中の大切な事柄の安定感が欠如しています。
世の中の流行だけでなく、大臣も総理もコロコロ変わるおかしな世の中です。だからと言って、そんなふうに変わるのが自然なのか、変わりやすいことが良いことかと言えば、慎重に考えてみる必要があります。アメリカのオバマ大統領が言うように"変わる"ことも必要です。しかし、その変化の度合いが限度を越えて不安定なものになる可能性がある時には、真剣に変わらないものを意識することが大切です。真の価値を生むバランス感覚が不可欠なのです。
何事も不安定になる時代においてこそ、ずっと続く、いつまでも変わらないものの尊さを問い直す必要があります。実は、私たちの存在やいのちに関する大事なものほど、コロコロ変わることよりも、ずっと変わらず続くことに価値を見い出すものが多いのです。親子の情愛は簡単には変わりません。日替わりの友情など、友情と呼ぶに相応しいものではありません。少々の困難で挫折する夢や志は、いつまで経っても決して実現されることはありません。
信仰は、神様と私たちを結ぶいのち。簡単に付いたり離れたりするものではありません。一方の当事者である神様は"永遠"という言葉を使って私たちに対する変わらぬ愛を約束して下さっています。もう一方の当事者である私たちの方はどうでしょう? いくら世の中の風潮だと言っても、簡単に染まってはいけないものがあります。信仰については、コロコロ変わるものではなく、ずっと続く価値あるものを意識しましょう。
万代栄嗣(まんだい・えいじ)
松山福音センターの牧師として、全国各地、そして海外へと飛び回る多忙な毎日。そのなかでも宗教を超えた各種講演を積極的に行っている。国内では松山を中心に、福岡、鹿児島、東京、神戸、広島、高松にて主任牧師として活動中。キリスト教界のなかでも、新進気鋭の牧師・伝道者として、注目の的。各種講演会では、牧師としての人間観、ノイローゼのカウンセリングの経験、留学体験などを土台に、真に満足できる生き方の秘訣について、大胆に語り続けている。講演内容も、自己啓発、生きがい論、目標設定、人間関係など多岐にわたる。
また、自らがリーダー、そしてボーカルを務める『がんばるばんど』の活動を通し、人生に対する前向きで積極的な姿勢を歌によって伝え続け、幅広い年齢層に支持されている。
国外では、インド、東南アジア、ブラジル等を中心に伝道活動や、神学校の教師として活躍している。