希望を見出せないこの世界でなぜ善を行うのか――。世界的に著名な新約聖書学者で、英国国教会ダラム司教区司教のN.T.ライト氏が米ハーバード大学で講演会「希望の再建」を行った。
「一体我々はなぜ変わるべきなのか」「社会が抱く希望が、我々のすぐ周辺でも崩れつつあるこの世界で、なぜ我々は善を行おうとすべきであり、また良いものを作り上げようとするべきなのか」―― 究極的には、それはこの世界が良くなり、初めのときと同じように回復されるという信仰、希望があるからだ。3日間の講演会でライト氏は、エイズ問題や最近の金融危機など希望を見出し難い現代の様々な課題を取り上げつつ、学生たちに問いかけ、希望なき世界でなぜ善を行うべきかを語った。
「聖書にある創造のポイントは、我々の世界が本質的には良い世界だということだ」とライト氏。「一部の創造論者に対して持つ一つの懸念ごとは、この世界が6日で創られたということだけにすべての関心が注がれ、それゆえにこの世は置き去りにされても当然で、また世は地獄へ行くが、我々は天国と呼ばれるところへ行くことができるとしていることだ。本物の創造論者であれば、このように考えるべきではない。創世記にある話のポイントは、それがどのようになされたかの順序にあるのではなく、なぜそうされたのかにある」と指摘した。
講演会は、学生宣教団体「IVCF(InterVarsity Christian Fellowship)」の後援で18〜20日に行われ、ライト氏は、「希望を見出せないこの世界でなぜ善を行うのか」「希望に抵抗するこの世界において善とは何か」「どのよな前向きな希望が変化をもたらすのか」の3つの講演を行った。
多くの人々が信じていることに反して、天国というのは世界の終わりでもなく究極的な目標でもないとライト氏は語る。さらに、それは一つの段階、さらに掘り下げて他の言葉で言えば、「新しい天と新しい地」(黙示録21:1)、秩序の更新と再創造だと説明した。
「我々が全くの偶然の産物、つまり進化論にある無作為的な突然変異の結果によったと考えるとしても、またはユダヤ教徒やキリスト教徒がこれまで教えてきたように、善と知恵の神による意図を持った創造であると考えるにしても、人間のほとんどが多くの場合、その人生にある種の目的があると考えているという事実からは離れることはできない」
その目的は、ただ単に天国のために用意をする、あるいはイエスが再臨される日にすべてが再び正しくされるという希望のために用意をするというものだけではない。それは今も変化をもたらし、さらにまたすべての秩序が新たにされるまで進み続けるものだ。「失望する理由はない。世界を造られた神はいまだにこの世を愛され、(世を)正しくしようとする働きを共にしようと我々を呼んでいる」とライト氏は語った。
一方でライト氏は、米国や世界が、「小さな規模の希望」を大切にするあまり、実用的あるいは短期的な理由だけで、物事を変えるという危険性に直面していると警告した。我々はこれらの問題を短略的に安易に解決しようとするべきではない。我々は、もっと持続的な何か、世界を正そうとする希望のために一歩を踏み出すべきだ。希望と聖霊なしに変化が訪れることはない、と語った。