さて、イエスは、悪魔の試みを受けるため、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。そして、四十日四十夜断食したあとで、空腹を覚えられた。すると、試みる者が近づいて来て言った。「あなたが神の子なら、この石がパンになるように、命じなさい。」イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』と書いてある。」(マタイ4:1~4)
私たちは神様によって造られた霊的な存在です。神様と向き合っていないと、本当の平安や喜びを失ってしまいます。今日の箇所は、イエスが救い主としての公生涯を歩み始める直前の出来事です。
ヨハネからバプテスマを受けたイエスが水から上がると、天が開けてメシアであるとの宣言を受けます。その直後、悪魔の試みを受けるために御霊に導かれて荒野に上ります。悪魔の誘惑にさらすことは、イエスが罪のない神の子であることを証明する神のご計画でした。40日間に及ぶ断食の後、イエスに悪魔は「この石がパンになるように命じなさい」と言います。これは、自らの飢えを満たし、さらに飢えている人々を助けよという誘いです。イエスは「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる」(申命記8:3)を引用し、この誘惑を退けました。今日この御言葉から、霊的な備えがなされているか、問い直しましょう。
1. パンだけで生きるのではない
確かに、人生にお金や食糧、娯楽は必要ですが、目に見えない霊的な恵みがなくては、人としては生きていけません。高松で、母親が2人の娘を長時間車に置き去りにして飲み歩き、死なせた事件からも分かるように、その時楽しければ良いという場当たり的な生き方から解放されなければなりません。パンだけではない、価値あるものが幾つもあります。生きがいや愛情、喜び、そして幸福を受けることができます。パンだけに振り回されてはいけません。
2. 生きることを選択する
最近、芸能人の自死が相次いでいます。世の中では、死を選ぶ権利があるなどと教えていますが、それは浅はかです。神は、生きるのだとおっしゃいます。救い主イエス・キリストがこの世に来られたのは、私たちを生かすためです。以前、事業に失敗して死のうと思っていたインドの男性が、野外集会で「死んではいけない、生きるんだ」と叫ぶ私の声を聞いて、イエスの救いを受けて生きる決断をしたというお証しをしてくれました。天に召されるそのときまで、イエスを見上げて、とことん生きてまいりましょう。
3. 神様との関係をしっかり持つ
イエスは「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる」とおっしゃいました。自分とどう向き合うかとか、周りの人間関係だけでなく、神様との関係をしっかり持ちましょう。イエスと初めて出会ったときのことをもう一度思い起こし、神様との霊的な関係を確かなものとしましょう。
4. 神のお言葉に立つ
クリスチャンの信仰生活は、神のお言葉に立って生きることが大切です。神のお言葉は、神の御心が私たちに分かるように表現されています。イエスご自身が、生ける神の言葉、ロゴスです。
今、神の恵みの不足を感じているなら、自分の気持ちや真剣さではなく、神のお言葉を、もう一度告白しましょう。癒やしを求めて祈るときも、神のお言葉を告白して祈りましょう。聖書を開いて御言葉を告白しながら、神の恵みを頂きましょう。神の御言葉には、力があります。イエスと向き合い、絆を深め、恵みの秋を歩んでまいりましょう。
◇