景教碑には多くのシリア文字が刻まれています。前面と左右の側面にエストランゲロス書体のシリア文字です。それらを解読し日本語にしました。
古代の東方教会(東方正教会とは違う)は、イスラエルから東方方面のアラム語やシリア語を使うイエス信徒共同体のシリアやイラクから、シルクロードやシールートで東に向けて宣教していった宣教教団。その時の言語がアラム語であり、それから変化したシリア語を用いていました。中央アジアに入ると、ソグド語に影響を与えました。
シリア語の最も古いものはエストランゲロス書体(碑はこの書体で彫られている)で、それから変化してヤコブ式書体、ネストリウス式書体があります。旧約シリア語聖書ぺシッタ訳はヘブル語から、恐らく2世紀ごろから翻訳されました。書き方も読みもヘブル語やアラム語と同じ右から左へと書き読みします。
今回は景教碑下部のシリア語を取り上げ、和訳しました。
「ギリシア紀元の1092(キリスト紀元の781)年に、アフガニスタン北部の町バルフ(バルク)で亡くなった長老ミリスの子、長老で中国長安の地方主教マル・イズドボジードが救い主の教えと中国皇帝に伝えた説教をこの石に刻み、記念として建碑した」
※ 参考文献
『景教—東回りの古代キリスト教・景教とその波及—』(改訂新装版、イーグレープ、2014年)
旧版『景教のたどった道―東周りのキリスト教』
Jessie Payne Smith, A Compendious Syriac Dictionary (1999)
呉昶興著『漢語基督教経典文庫集成』
◇