明智光秀の三女で、その人生をモデルとした戯曲が当時の神聖ローマ帝国で演じられるなど日本のキリスト教徒(キリシタン)として世界的に知られる細川ガラシャ(明智玉子)をテーマとした文化講演会が18日、京都府長岡京市の中央公民館で行われた。長岡京市女性の会主催で行われ、京都橘大の田端泰子学長が「細川忠興と正室玉子」と題して講演。約130人が参加した。地元の京都新聞が伝えた。
ガラシャは15歳の時、父光秀の主君である織田信長の勧めによって、細川忠興のもとに嫁ぐ。しかし、その4年後には光秀が起こした本能寺の変(1582年)によって逆臣の娘となり、2年間の幽閉を経験。その後キリスト教の教えに心を引かれていったとされている。
しかし、忠興が九州へ出陣した際に意を決して教会へ。ちょうどその時は復活祭(イースター)の時期で、質問を投げかけてきたガラシャについて、修道士は「これほど明晰かつ果敢な判断ができる日本の女性と話したことはなかった」と述べている。信じたガラシャは密かに洗礼を受け、洗礼名「ガラシャ」を受けた。
田端学長は講演で、「うつ病に悩まされ、気位が高く怒りっぽい女性だったが、信仰を得て忍耐強い人格者に変わった」(同紙)とガラシャについて紹介。武家の女として儒教を学んだ教養の上にキリスト教の信仰を打ち立てて生きたガラシャの人生を語った。
ガラシャは関ヶ原の戦い(1600年)が勃発する直前、西軍の石田三成により人質とされそうになったがそれを拒絶、家老の小笠原秀清に自らの胸をつかせて死ぬという壮絶な最期を遂げた。そのガラシャの生は欧州では殉教として捉えられ、ガラシャをモデルとした戯曲「気丈な貴婦人」も作られ、政治的理由で他国に嫁がされる欧州の婦人たちにも深い影響を与えたとされている。