見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。(ヨハネの黙示録3:20)
こんな話があります。
昔、アフリカ奥地の小さな国を、あるイギリス人夫妻が訪れました。小さな国の王様は彼らをもてなし、ためらいながら、「実は、イギリスの女王様から大きなプレゼントが届いたのですが、何だか分からないので、倉庫に入れたままにしているのです。ちょっと見てくれませんか?」と尋ねました。倉庫に入ってみると、何と立派なグランドピアノではありませんか。しかもひっくり返って置かれているのです。イギリス人夫妻はそのピアノを正しく置き直し、ピアノの前に座り、すばらしい音楽を奏でました。王様をはじめ、みんなはびっくりしたということです。
神様はすばらしい贈り物を人間にくださっています。人間はだれもが、偉大な人生を生きるように、喜びに満ちた幸せな人生を送るように、責任と持ち物を与えられているのです。ただ、多くの人はそれをひっくり返したまま、倉庫の中に、虚しく放り込んでいるのです。
確かにある面、人間は罪深い、弱い、どうにもならない代物です。最近の血なまぐさい事件の連続。中学生による殺人事件、高校生の暴走族、通り魔殺人、主婦のアルコール中毒の増加、年々上昇しつづける離婚率・・・。大人の世界にも、子どもの世界にも、ドロドロしたものがいっぱいです。
すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず・・・(ローマ3:23)
人の心は何より陰険で、それは直らない。(エレミヤ17:9)
聖書にはこのように書かれていますが、まさにそのとおりです。
しかし神はこのどうしようもない人間を愛してくださっています。イエス・キリストは、「人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう」(マタイ16:26)と教えられました。いいえ、教えただけではなく、ご自身の生命を犠牲にして、私たちのために、死んでくださったのです。
あなたは、今の現実がどうであれ、神のかたちに似せて造られた尊い存在なのです。神の愛が限りなく、あなたの上に注がれているのです。たとえ無学であっても、人に嫌われ、「お前なんか、いないほうがいい」と言われていたとしてもです。
イエス・キリストは、「父がわたしに与えて下さる者は皆、わたしに来るであろう。そして、わたしに来る者を決して拒みはしない」(ヨハネ6:37、口語訳)と言われ、ご自分のところに来た者のすべての汚れや罪の重荷を、ご自分で引き受けて、十字架上に死んでくださいました。
キリスト様は、自分の体に私たちの罪を負い、十字架上で死んでくださいました。そのおかげで、私たちは、罪ときっぱり手を切り、正しい生活を始めることができたのです。キリスト様が傷つくことによって、私たちの傷が治ったのです。(Iペテロ2:24、リビングバイブル)
だから、あなたの罪や汚れ、呪いや病気、責められる心や不安、恐れ、重荷や苦しみのすべてが、十字架上で葬られたことを信じるなら、救われます。自由となり、解放が与えられるのです。
イエス・キリストは十字架の上に死んでくださいました。そして三日目に復活し、今も生きておられる神様です。
見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。(ヨハネの黙示録3:20)
イエス・キリストを、あなたの尊い心の中にお迎えください。復活のキリストが、あなたの心のピアノの前に座ってくださいます。その時、神と調和し、自分と調和し、人と調和する、すばらしいメロディーとハーモニーが、あなたの内からわきあふれ、流れ出るようになります。
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榮義之(さかえ・よしゆき)
1941年鹿児島県西之表市(種子島)生まれ。生駒聖書学院院長。現在、35年以上続いている朝日放送のラジオ番組「希望の声」(1008khz、毎週水曜日朝4:35放送)、8つの教会の主任牧師、アフリカ・ケニアでの孤児支援など幅広い宣教活動を展開している。
このコラムで紹介する著書『希望の声』(マルコーシュ・パブリケーション)は、同師がラジオ番組「希望の声」で伝えたメッセージをまとめた珠玉のメッセージ集。放送開始25年を迎えた98年に、過去25年間伝え続けたメッセージの中から厳選した38編を紹介している。