創世記に記されている壮大なヨセフ物語の中で印象的な一言があります。それは「兄弟たちを捜しているのです」というヨセフの言葉です(創世記三七章16、口語訳)。
「あなたは何を捜しているのですか」と尋ねられて「兄弟を」というのは印象的です。
「自分探し」という言葉が流行語のようによく用いられますが、「兄弟を捜す」仕方の中でしか自分を探しあてることは難しいのではないかと思われます。
教会では相互に兄弟姉妹という表現をしていますが、この言葉をインフレ化させてはなりません。他人にすぎない人を兄弟姉妹としてとらえ、迎え、共に親しんで、共生していく、そうするためのわざが、また伝道なのでしょう。
あの時ヨセフは兄弟に嫌われ、銀二〇枚で売りとばされ、これでも兄弟といえるのかという劣悪な関係に堕ちていく。しかしヨセフは「兄弟たちを捜しているのです」と言って求めつつ生きました。兄弟と呼び難い者を兄弟としていくところに伝道の精神は息づきます。そうするのは、敵であるような私たちを「イエスは彼らを兄弟と呼ぶことを恥としない」(ヘブライ二章11)で迎えてくれるからに他なりません。
日本の社会というものは、同化、画一化かさもなくば排除していくような傾向が強くあります。自分と異質な者を受け容れ、共に生きていこうとする精神に欠けた社会の現実にあって「兄弟たちを捜しているのです」という姿勢は戦いを予想させますが、貴重な証しに通じていくはずです。
兄弟として接し、相手から学びつつ心開いていく時、自分たちは見えない愛の連鎖でつながれているのだという厳粛な時を経験させられ、自分自身をも再発見するのでしょう。
「いまどこかで泣いている/世界の中でわけもなく泣いている者/その人は/ぼくのことを泣いているのだ」(リルケ「厳粛な時」)。
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山北宣久(やまきた・のぶひさ)
1941年4月1日東京生まれ。立教大学、東京神学大学大学院を卒業。1975年以降聖ヶ丘教会牧師をつとめる。現在日本基督教団総会議長。著書に『福音のタネ 笑いのネタ』、『おもしろキリスト教Q&A 77』、『愛の祭典』、『きょうは何の日?』、『福音と笑い これぞ福笑い』など。
このコラムで紹介する『それゆけ伝道』(教文館、02年)は、同氏が宣教論と伝道実践の間にある溝を埋めたいとの思いで発表した著書。「元気がない」と言われているキリスト教会の活性化を期して、「元気の出る」100のエッセイを書き上げた。