・・・「・・・税金をカイザルに納めることは、律法にかなっていることでしょうか。かなっていないことでしょうか。」イエスは彼らの悪意を知って言われた。「偽善者たち。なぜ、わたしをためすのか。納め金にするお金をわたしに見せなさい。」そこで彼らは、デナリを一枚イエスのもとに持って来た。・・・そこで、イエスは言われた。「それなら、カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。」彼らは、これを聞いて驚嘆し、イエスを残して立ち去った。(マタイの福音書22章15節〜22節)
先日、東京でムーイ先生と癒しのセミナーを3日間行いました。何よりも感謝なことは、セミナーの中で、本当に神の聖い御霊がそこに働き、人々を救い癒しの御業を現わして下さっていることです。耳が聞こえ、目が見え、足腰が強められ装具無しでも歩ける。聖書に書かれているそのままの癒しが現わされて感謝でした。イエスは今も私たちの祈りに答えて、聖書の約束の通りに信仰を通して働いて下さるお方であることが証しされています。
私たちは、日々の生活の中で迷ってしまい、時にはどちらを選択してもうまくいかずに苦しくなることもあります。この聖書箇所で、イエスもそんな難しい状況に出くわされました。イエスに敵対する人々は、信仰熱心なふりをしながら、実はイエスを罠にかけようとして質問をします。「ローマ皇帝であるカエザルに税金を納めることは良いことですか?」税金を納めなさいと言えば、その当時イスラエルを治めていた、敵国であるローマ帝国の片棒をかつぎ、神の国イスラエルを裏切ることに、そして、税金を納める必要はないと言えば、ローマ帝国に対する反逆罪で訴えることができるのです。どちらにしてもイエスを訴える口実を得ることができる、周到に仕組まれた罠でした。
イエスはその時、デナリ硬貨を指して有名なお答えをします。「カイザルのものは、カイザルに返しなさい。しかし神のものは神に返しなさい。」
私たちの現実にも、右も左も選べない状況があります。でも、イエスから答えをいただきましょう。そのために2つのことを私たちの心の中にとどめておきたいと思います。
1.取り巻く状況の悪意を見抜く
イエスの内には、神の聖霊が働いていましたから、彼らの悪意を見抜かれました。私たちも聖霊に満たされて悪意や罠や偽善があることを見抜くものでありたいのです。私たちは素直ですが、決して愚かではありません。
世の中で流行しているものが全て良いわけではありません。また、身近な人々が良かれと思って勧めてくれることが、全てあなたを幸せにするとは限りません。悪意や罠や滅びに導くものがあるときは、霊的な目を開かれて見抜きましょう。
そのためには、あなたの心がキリストの愛と聖霊に満たされていることです。そうすれば、クリスチャンであるあなたの内に与えられている聖霊が、拒絶反応を起こすのです。
人の悪意や敵意、そして罠や落とし穴をイエスはちゃんと見抜いておられました。私たちも、仕事や人間関係の中で、まず自分が聖霊に満たされて、悪に染まってしまわないように十分に気をつけておきたいと思います。
2.神に喜ばれることを坦々と行う
世の中の常識や、良いと思われることはたくさんあります。しかしその中で迷ってしまう前に、はっきりとした基準を自分自身の中に持っておきましょう。それは、神に喜ばれることを行うと決意することです。
イエスは、「神のものは神に返しなさい」と言われました。クリスチャンの生き方というのは、何もせずにただ神の御業を待っているのではありません。神に喜ばれることを自ら率先して行うのです。私たちに与えられている物で、神から与えられている物は神に返すべきです。
イエスは、私たちに言われるだけではなく、自らの死で神に喜ばれる生き方の模範を示されました。私たち人間の深い罪が清められ救われるために、神のひとり子であるご自身のいのちが捧げられることが神の御心であると知ったとき、イエスは自分勝手な思いではなく、神の御心を実現するためにご自分のいのちさえ与えて下さったのです。
選択肢の多い世の中にあって、常に神の御心に適うように生きるという基準が、クリスチャンにはあるのです。
あなたが神にとことん従っていれば迷いはありません。主は一切の迷いを、私たちの人生の中から消して下さいます。
どうすればあなたの心の中に神の御心が分かるでしょうか。神は霊ですから、私たちが霊的に神とつながっていることが必要です。具体的には、礼拝を守り、聖書をいつも読み、常に祈りをささげ、献げ物をし、奉仕と証しと伝道をすること、そして、人々のために取りなしをする。そのような基本的な信仰生活の中に、神の御心は必ず現わされます。自らの信仰を整えましょう。そうすれば、神と私たちが霊的につながり御心が伝わってきます。
神の御心に適う生き方をしていれば、私たちは決して迷うことはありません。
万代栄嗣(まんだい・えいじ)
松山福音センターの牧師として、全国各地、そして海外へと飛び回る多忙な毎日。そのなかでも宗教を超えた各種講演を積極的に行っている。国内では松山を中心に、福岡、鹿児島、東京、神戸、広島、高松にて主任牧師として活動中。キリスト教界のなかでも、新進気鋭の牧師・伝道者として、注目の的。各種講演会では、牧師としての人間観、ノイローゼのカウンセリングの経験、留学体験などを土台に、真に満足できる生き方の秘訣について、大胆に語り続けている。講演内容も、自己啓発、生きがい論、目標設定、人間関係など多岐にわたる。
また、自らがリーダー、そしてボーカルを務める『がんばるばんど』の活動を通し、人生に対する前向きで積極的な姿勢を歌によって伝え続け、幅広い年齢層に支持されている。
国外では、インド、東南アジア、ブラジル等を中心に伝道活動や、神学校の教師として活躍している。