統一と宣教の葛藤
今年のアフガン拉致事件を通して、韓国教会はイスラムとの葛藤や衝突よりも左翼勢力との葛藤が表面化してしまった。韓国は、韓国動乱(朝鮮戦争)で共産主義と衝突した。韓国動乱以前にも、多くの教会指導者たちが共産主義統治下で殉教した。孫良源牧師の2人の息子の死は代表的なケースだ。これにより北朝鮮の多くのキリスト教信者たちが南に避難してきた。彼らは現代韓国教会の成長と宣教の中枢的役割を果たし、60年代後半までを見ても韓国の活力ある教会はみな北から南に渡ってきたクリスチャンが多かった。永楽教会を始めとして、多くの長老教会は北からきた避難民たちによるものであった。彼らは韓国で早い速度で経済的に富を蓄積し、教会も復興させ、韓国社会の頼もしい中産層を形成した。保守的クリスチャンたちはキリスト教と共産主義は理念的に共存が不可能だと思った。韓国教会は社会に力強い反共神学を提供したわけだ。
70年代は軍事文化が絶頂であった。これに金大中を始め多くの、いわゆる民主化勢力たちが強く独裁打倒を叫んだ。残念なことに、このうち相当数は左翼理念で反独裁運動を展開し、彼らは今も現政治権力の核心になっている。現政府を動かす核心人物7人がいるが、彼らは「キリスト教運動圏」出身だと言う。しかし彼らのキリスト教は聖書的キリスト教とは距離が遠い。左翼的なキリスト教は露骨に北朝鮮との平和的共存を叫んだ。したがって90年キム・デジュンの太陽政策は左翼理念の産物だと言える。80年代世界教会協議会(WCC)の平和の神学は太陽政策に影響を与えたと思う。キリスト教的左翼グループたちは神と人間の和解よりも南と北の仲直りをもっと強調している。
保守的キリスト教は統一の目的が北朝鮮住民の解放と宣教だ。一方、進歩的キリスト教会は宣教よりは無条件的平和統一をより強調している。越南式の共産統一も拒否していない。
なぜ、左派は敗れたのか?
今回の選挙で左派が失敗した最大の原因は、経済の失敗だ。人々の関心事は理念や宗教よりもまず食べることだ。韓国の知識人たちは、軍事独裁のとき復興させた経済を「民主政府」がかえって後退させたと思う。左派政治家たちは経済より理念志向的で、経済も行政も分からない。彼らは卵を生むより分配する方にもっと関心を置く。生産ない分配が失敗したのだ。
二番目に、キム・デジュン政権の時から企業家たちは投資を憂慮しがちだったが、ノ・ムヒョン政府でこのような現象はさらにひどくなった。左派政権ははじめから共産国家で失敗した理念を遅く輸入したわけだ。韓国の青年失業者はOECD国家中最下位だ。したがって20代と30代の青年たちでさえ左派に背を向けてしまった。けれども彼らはまだ左翼理念が失敗したということは認めていない。選挙期間中、彼らは教祖主義的姿勢を見せてしまった。すなわち自分たちは健全な理念によって政治をしているのに国民が認めない、と露骨に不平を言った。一与党リーダーは国民が老いぼれたと失言を言ってしまった。
三番目に、彼らは価値観と倫理観で矛盾を露呈してしまった。彼らは韓国の人権弾圧と独裁をしんらつに批判したが、北朝鮮の人権弾圧と独裁は全然取り上げていない。かえって金正日の気を損ねないよう努力するほどだ。これは人権と自由を絶対的で普遍的な価値として認めない、相対主義的倫理観だ。
四番目に、現政府における権力型不正とスキャンダルがあまりにも多発した。多くのタクシー運転手たちは韓国で一番の金持ちは左派リーダーたちの中の一人だとおおっぴらに言う。
五番目に、彼らは北朝鮮とは仲直りと平和を強調したが、社会運営はいつも葛藤と不信と分裂を助長した。特に、強い労組運動は企業家たちの投資意欲を喪失させてしまった。不幸にも税金取り立てのために告発文化を発展させた。告発文化は教会にまで波及した。
最後に現政権の失敗は、教会も改革の対象として干渉しようと思ったことだ。言論は特に大手教会の不正と非理、なかでも世襲制度を浮上させて社会的にキリスト教のイメージを失墜させようと試みた。
【全浩鎭(ジョン・ホジン)】 1940年、大阪生まれ。韓国・高神大学、同大学院卒業、米国・ウェストミンスター神学校神学修士課程修了、米国・フラー神学大学宣教学博士課程修了、英国国立ウェールズ大学哲学博士課程修了。その後、高神大学学長、平澤大学学長、亜細亜連合神学大学大学院院長、トーチ・トリニティー神学大学院教授などを歴任。現在は、イスラエル及びイスラムネットワーク会長、韓半島国際大学教授。著書に、「宣教学」(85年)、「宗教多元主義と他宗教宣教戦略」(92年)、「アジア・キリスト教とミッション」(95年)、「人種葛藤時代と未伝道種族ミッション」(00年)、「イスラム―宗教家イデオロギーか」(02年)、「文明衝突時代のミッション」(03年)、「転換点に立つ中東とイスラム」(05年)(いずれも韓国語)などがある。