長崎の漫画家・西岡由香の最新作『被爆マリアの祈り』が7月、長崎文献社より刊行された。被爆を体験した3人の証言を、漫画という親しみやすいメディアを使って紹介し、「原爆は人間に何をしたのか」ということを浮き彫りにする。そして、「どこの誰の上にも原爆は落とされてはならない」という願いが、3人の証言を通して伝わってくる作品となっている。
70年前の8月9日、長崎市浦上地区の上空に、広島に引き続き投下された原子爆弾。町全体を消滅させるほどの威力を持つ原爆の被害は、戦争が終わっても決して終わらなかったということが、3人の証言から明らかにされる。放射線の被ばくによるさまざまな後障害、偏見との闘い、生き残ったことへの悔恨(かいこん)。3人の証言は、戦後日本が復興し、豊かになったとしても、原爆によって刻み付けられた「傷」は決して消えることがなく、その「傷」を抱えながら生きてきたことを伝える。
本書に登場する証言者は、小峰秀孝さん、深堀リンさん、片岡ツヨさん。冒頭のプロローグで、「ヒバクシャ」という言葉を世界に広めるきっかけとなった1977年のNGO被爆問題国際シンポジウム開催にも尽力した社会学者の石田忠氏(2011年死去)が、1993年に東京・一橋大学で初めて被爆体験を語る講演会を前に緊張する小峰さんに、「私たちに聞かせてください あなたが歩んできた道を 原爆が人間に何をしたのかを――」と語るところから始まる。
同じ日に被爆した3人。本書では、同じ体験をした3人のそれぞれの人生が語られていく。4歳で被爆し、大やけどを負った右足首がケロイドでみにくく変形した小峰さんは、就職もままならず、中学卒業後、理容師見習い、御礼奉公を経て理容師となった。恋愛結婚をしたものの、原爆の影におびえた妻との溝が深まり、平凡といえる幸せを阻まれてしまった。小林さんは「私の人生は原爆とのたたかいでした」という。しかし、母親の深い愛は、小林さんを原爆の闇へと陥れなかった。小林さんは「人間は原爆より強い、大切な人を守りたいという気持ちがあるかぎり原爆をなくせる」と断言する。
また、被爆後に救護班として地域の惨状に向かい合い、大切な人を目の前で次々に失ってきた深堀リンさんは、「生きぬくことが原爆に立ち向かうことだった」と話す。深堀さんの証言では、原爆で破壊された浦上天主堂についても触れられている。本書のコラムには、浦上の上でさく裂した原爆によって浦上天主堂は倒壊、信徒約1万2千人のうち約8500人が爆死したといわれています、とある。深堀さんの証言の中にも、浦上の信徒たちと思える人たちが、石像のようにひざまずいて死んでいる姿が出てくる。本書の表題となっている「被爆マリア像」も、浦上天主堂で被爆したものだ。顔は痛ましくやけ、二つの瞳が黒い空洞となって、今は浦上天主堂の一角にある「被爆マリア小聖堂」に置かれている。
著者は、この「被爆マリア像」と3人目の証言者、片岡ツヨさんを重ねる。当時24歳だった片岡さんは、浦上天主堂のマリア像の前で結婚式を挙げることを夢見るカトリック信徒だった。だが、原爆の爆風は火のムチとなって片岡さんの顔を直撃。おしゃれも、結婚の夢も一瞬に砕け散った瞬間だった。それでも大らかな母の愛に支えられて生きていくことができたが、母の死後、寂しさに打ちひしがれている時、長崎を訪問したローマ教皇の「戦争は人間のしわざです」と言うのを聞き、大きな感銘を受けた。「こんな私でも平和の道具になれるやろか」という思いで、原爆記録映画『にんげんをかえせ』に出演する。
片岡さんが、ローマ教皇に招かれバチカンで教皇と謁見するシーンは圧巻。「原爆で体も人生もキズものにされたばってん・・・今は本当に 生かされたことに感謝しとるとよ」と著者に語る片岡さんの気持ちがここに表れている。片岡さんは、昨年12月に亡くなり、著者は、片岡さんが、今にも壊れそうなガラスのような体で生きてきたことを思い、「聖母とは遠くからほほえみかける人じゃなくて 人のおかした罪にもだえ苦しむ人をいうのかもしれない・・・」と、「被爆マリア像」を前にして片岡さんへ思いを馳せる。
やさしいタッチの絵でありながら、被爆者が、私たちに自分の傷ついた体と心をさらけ出して、未来の人類の平和のために語り続けているのだということが、ひしひしと伝わってくるこの作品。戦後70年の今年、誰が戦争を起こしたのか、どうすれば戦争をやめることができるのかを考える上での、最良な一冊となるだろう。
『被爆マリアの祈り』:西岡由香著、長崎文献社、2015年7月20日発行、定価1200円(税別)