今だから言えるのだと思います。私が出会った人みんなが「我が師」です。
私の両親、兄弟、親戚、幼稚園の先生、小学校・中学校・高校・大学の先生、友達、親友、妻、同僚、先輩、後輩、様々な業種の人たち、町内会、消防団、PTA、地域の人たち、教会内外で出会う人たち、全てが私の師です。師からたくさんのことを学んできました。
師は大きく3種類に分けられます。
模範とする人。「メンター」と呼べる人が少数ですがいます。たくさんのことを教えていただき感謝しています。
「模範とすべき部分」と「こういう部分はもっとこうしたらいい」ということを教えてくれる人が多数います。
中には、「反面教師」もいます。
①の師は、希にしかいません。メンターとして、具体的に、深く関わりを持っていただける師との出会いは神様が下さったプレゼントです。
ある人は、「私にもメンターがいたらいいのに!?」と言われます。私は、「①の『我が師』に感謝していますが、①の師がいなくても②と③の『我が師』がいれば大丈夫ですと」と話します。
②と③の師は、探さなくてもどこにでもいます。大切なことは、②と③の師に関して、安易に批判したり、毛嫌いしたりするのではなく、その人の生い立ちを聞いてみたり、感じたり、その人の身になって考えてみることです。そのプロセスの中でたくさんのことを学べます。
③の師は、不幸な過去、両親の不和、親からの虐待、いじめ、トラウマになるような衝撃的なできごとを経験しています。中には、親に甘やかされて、わがままを矯正してもらえなかった人もいます。そこには、幸せを感じられなかった幼少期や過去が見えて来ます。結果、劣等感、ねたみ、憎しみ、怒り、コンプレックスなどを持っています。その痛みが分かると、単なる反面教師ではなく、共に泣きながら、「本当によく生きて来たなー!」と感心させられます。
寄り添いながらイエス様の愛を語ります。心が通い合い、心の傷がいやされ始め、その人の表情が変えられていきます。このプロセスを通して多くのことを学ばせられます。心が固く閉ざされて、心通わすことができない反面教師もいますが、できる限りその人の心を感じ、その人のきっとある辛い過去を推測しながら、神にその心のいやしを祈ります。
反面教師から、「その人がやっていることと同じことをしない」ということをしっかりと学ぶ必要があります。
「教師」と「反面教師」を見分ける基準は、好き嫌いなどではなく、基準は聖書です。
最後に、誰もが出会える最高、最善の「我が師」を紹介します。イエス・キリストこそが最大の人生の教師であり、模範です。
この方と出会い、この方を師とし、直結して生きていくならば、あなたの人生は、最高の人生を生きられるようになります。さらに、「教師」と「反面教師」を見分ける知恵と力が与えられ、人生で出会う全ての人を「我が師」とすることができ、そこから人生に必要な全てのことを学ぶことができます。
今日一日も、良き学びの時でありますように。祝福を祈ります。
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菅野直基(かんの・なおき)
1971年東京都生まれ。新宿福興教会牧師。子ども公園伝道、路傍伝道、ホームレス救済伝道、買売春レスキュー・ミッション等、地域に根ざした宣教活動や、海外や国内での巡回伝道、各種聖会での讃美リードや奏楽、日本の津々浦々での冠婚葬祭の司式等、幅広く奉仕している。日本民族総福音化運動協議会理事。
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