一九六五年四月二十九日、晴れて私たちは結婚した。結婚式は学院の大チャペルで行なわれ、クート師と込山牧師の陣頭指揮で準備が進んだ。反対していた兄も、山から緑の木を取ってきて、みごとなアーチを作ってくれた。喜島牧師夫妻が証人として立ち、二〇〇名もの参列者が見守る中、クート師の生涯で最後の司式となる結婚式が厳粛に行なわれた。
式後のレセプションは、チャペルの地下室で豪華に開かれ、私はただ呆然とそのすばらしさに圧倒されていた。クート師はすごい人だ。「義之が出ていくか、私が学院を辞めるか、どちらかだ」と言われた数年前の出来事を思い、謝礼も払えない牧師の結婚を豪華に祝ってくれたと感動した。だがこれも結婚後十五年くらいして分かったことだが、プレゼントされたのはケーキだけで、ほかのごちそうは全部家内が自分で用意したものだった。このことも知らず、うかつにも感激していた自分を恥ずかしく思うとともに、そんな牧師に惚れて苦労の連続だった家内に感謝することしかできない。
ここまで書けば、もう一つの事実も書かないわけにはいかない。結婚式のハイライトは、二人が神と証人との前で約束をする場面である。「あなたはこの女子(男子)と結婚し、妻(夫)としようとしています。あなたは、この結婚が神の御旨によるものであることを確信しますか。あなたは神の教えに従って、夫(妻)としての分を果たし、常に妻(夫)を愛し、敬い、慰め、助けて変わることなく、その健康の時も、病の時も、富める時も、貧しき時も、いのちの日のかぎり、あなたの妻(夫)に対して堅く節操を守ることを約束しますか」と牧師が問いかけ、二人が順に誓約する。普通ならそこで「誓約の印として指輪を交換します」と牧師が言い、二人は指輪を交換する。私たちの時は、家内だけが指輪をはめた。私は彼女に結婚リングも買ってやれないほど貧乏だった。最初は家内も指輪なしでも良いと言っていたが、やはり若い女性である。牧師の妻となる召しが実現した記念に、自分で買うことにしたのだ。その時に買った安物の指輪は、三十三年過ぎた今も、純愛の輝きをそのままに家内の指に光っている。
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榮義之(さかえ・よしゆき)
1941年鹿児島県西之表市(種子島)生まれ。生駒聖書学院院長。現在、35年以上続いている朝日放送のラジオ番組「希望の声」(1008khz、毎週水曜日朝4:35放送)、8つの教会の主任牧師、アフリカ・ケニアでの孤児支援など幅広い宣教活動を展開している。
このコラムで紹介する著書『天の虫けら』(マルコーシュ・パブリケーション)は、98年に出版された同師の自叙伝。高校生で洗礼を受けてから世界宣教に至るまでの、自身の信仰の歩みを振り返る。