賛美歌研究の第一人者である大塚野百合氏(恵泉女学園大学名誉教授)が11日、クリスチャン音楽家の集い「ユーオーディア」(柳瀬洋代表)の20周年記念集会で講演した。人気講師の講座とあって、全国から約90人が詰めかけた。大塚氏は、日本でも有名な賛美歌「アメイジング・グレイス」をはじめ、「丘の上に十字架たつ」(讃美歌第二編182番)、「十字架のかげに」(聖歌396番)、「わが主のみまえに」(讃美歌537番)の4曲の賛美歌が誕生した背景や作曲家の生涯を解説。ユーオーディアの音楽家たちが曲を演奏した。
「アメイジング・グレイス」の歌詞を、もと奴隷船の船長で後に牧師となったジョン・ニュートン(1725〜1807)がかいたことは有名である。その歌詞の一語一語には、ニュートンの神の愛に対する大きな驚き、魂の救いに対する限りない感謝の思いが込められている。
ニュートンのかいた原歌は、6つの節からなっている。まず注目すべきは、「驚くべき」(amazing)という語。これは「常識では想像もできないほどに驚くべき」という強い意味を持つ言葉である。ニュートンがこれほどまでに強調するのは、「神の恵み」(grace)である。奴隷を非道徳的に扱い、友人たちをも同じ悪に引きずりこむような罪深い自分をも、神は見いだし、すべての罪をゆるし、それだけでなく永遠の命さえ与えられた。ニュートンは、自身を「無頼漢(ぶらいかん=wretch)」だとしている。この語は、「迷っている身」(讃美歌)、「自分の汚れを知っている」(聖歌)と訳しても足りない、「どうにもならないならず者」とまで訳せる強い意味を持っている。
大塚氏は、自らを「wretch」なる身と告白することは、何も奴隷船の船長であったニュートンにしかできないことではない、神の恵み、聖さを体験したものならば、だれでもそう告白せずにはおられないものであると語った。あの、メソジスト運動の指導者であり、数千曲もの賛美歌を生み出したチャールズ・ウェスレーも、自身の作詞した賛美歌において同様の告白をしている。大塚氏は、「私たちも心からそのように告白するものでありたい」と語った。
「十字架のかげに」をかいたファニー・クロスビー(1820〜1915)は、失明の身でありながら生涯に6000以上の賛美歌を生み出した奇跡の女性である。生後間もなく医療ミスで失明。1歳にならないうちに父を失い、母親と、信仰深い祖母に育てられた。クロスビーは、驚くほど繊細な感受性と、豊かで、激しい感情を持っていた。さらに、視力が奪われた代償としてすぐれた記憶力を与えられ、少女時代に、すでに旧約聖書のモーセ5書、詩篇の多くの箇所、箴言、雅歌、ルツ記と、新約聖書の多くの部分を暗記していた。
クロスビーの人生の転機は30歳のときに訪れる。1850年11月20日、クロスビーがニューヨークのあるメソジスト教会で講壇の前にひざまずいて祈っていると、会衆が「ああ主は誰がため世にくだりて」(讃美歌138番)を歌いだした。「ここに、主よ、わたし自身を捧げます。それがわたしにできるすべてです」という歌詞が彼女の心を深くとらえた。
クロスビーは、この出来事を「11月体験」と呼び、生涯の分岐点として覚えた。そのとき彼女はすでに世の中で詩人として成功を収めていたが、賛美歌作家となるのはそれから14年も後のことになる。
1864年、44歳のクロスビーは、「しずけきいのり」(讃美歌310)、「飼い主わが主よ」(同354)、「主われを愛す」(同461)を作曲した偉大な賛美歌作曲家ウィリアム・ブラッドベリーに出会い、初めての賛美歌を書いた。世界中で愛されている賛美歌「イエスのみ腕に」(新聖歌253)も、作曲家ウィリアム・ドーンがつくったメロディーを聴いて、彼女が30分で歌詞をかいて出来たものである。クロスビーのかいた賛美歌の歌詞を見ると、いつも彼女の思いがイエスの十字架と天の御国に集中していることがわかる。
「わが主のみまえに」(賛美歌537)をかいた奥野昌綱は、日本人で2番目に牧師となった人物で、当時の聖書と賛美歌の翻訳に大きく貢献した。奥野は文政6年(1823)、江戸幕府の下級武士の家で三男として生まれる。10歳で5代将軍綱吉夫人鷹司氏の霊廟のある東叡山寛永寺・春性院にあずけられ、短歌、漢詩、能楽の笛吹き、生け花、剣道、槍術、それらすべてに抜きん出た才能を発揮して、人々を驚嘆させた。15歳で幕府の官立の昌平坂学問所に通い、儒学の経典である四書五経をわずか2年で習得して試験に合格するほどの秀才であった。
奥野とキリスト教との出会いは、明治4年の春。当時横浜にいたヘボン宣教師の日本語の教師にならないかという誘いがあった。奥野は、約8ヶ月間ヘボンの助手として働き、日本で初めての和英辞典「和英語林集成」第2編の編集と新約聖書の翻訳を手伝った。ヘボンが上海へ主張中にブラウン宣教師の聖書翻訳を手伝っていた奥野は、聖書の御言葉に深く教えられて信仰を持ち、明治5年、ブラウンから洗礼を受けた。
賛美歌「わが主のみまえに」では、イエスを信じる信徒たちがともに交わる歓喜を歌っている。大塚氏は、奥野の残した手記から、彼自身、キリストにある友との交わりをどれだけ喜びとしていたかを解説した。「よろこびつどいて」という短い言葉の中には、奥野の万感の思いが込められていた。
大塚氏は、ユーオーディア・アカデミーで「賛美歌ものがたり」講座を担当している。問い合わせは、ユーオーディア・アカデミー事務局(電話・ファックス:03・6657・5011、メール:[email protected])まで。