卒業が近づくと、進路に大きな関心が寄せられる。自分のことより同級生のことが気になる時でもある。先輩の3人は、クート師に大いに期待されていた。卒業式で金縁の皮表紙の聖書を贈られ、誇らかに決意表明する先輩たちの姿は、私の目に焼き付いていた。
3人の中でも、村上好伸牧師はもっとも期待された器であり、卒業と同時に大阪市旭区で開拓伝道を始めた。学校の印刷所はフル回転して、天幕集会のビラを惜しみなく印刷し、学生たちも総出で開拓伝道へ出かけた。最初の礼拝から数十名が出席し、すばらしいスタートだった。
また兄の榮一仰牧師は結婚し、大東市の教会に赴任すると同時に、泉州で開拓伝道の火蓋を切った。
同級生の小林さんは、母校・市岡高校のある大阪市港区で、NTCの開拓教会としてスタートすることが決まった。その伝道からは、当時看護婦をしていた現奈良ベタニヤ教会の吉開稔牧師が救われている。また学生の時から活躍していた原正幸牧師は、同級生の勝子夫人と結婚し、尼崎市でNTCの開拓伝道を始めた。現在は三重県津市で恵まれた牧会を続けている。
私の進路だけが、なかなか決まらなかった。最初は種子島の母教会に帰ろうと思ったが、大阪聖書学院で学んで教諭の資格を取るよう勧められた。何回か聴講したが、ペンテコステ体験をしていた私には少しもの足りなく、断念せざるを得なかった。そこでアメリカへの留学を考え、クート師に相談したが、「聖霊がほんとうにそのように導いているだか」と言われた。何も聞こえず、感じもしないので、聖霊に導かれているとは言えなかった。そうこうしているうちに、大阪救霊会館で働かないかと言う話が持ち上がった。しかし、まだ若いし経験も浅いから無理だという反対意見で、その道も閉ざされた。
結局、卒業と同時に学校に残って教師となる道を、院長が備えてくれた。思いがけない話だったので、自分にはできないと断ると、初めからできる者はないし、できないからこそ聖霊は助けてくれると励まされた。まさしく学院のモットー「不可能は挑戦となる」そのままの教師就任だった。
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榮義之(さかえ・よしゆき)
1941年鹿児島県西之表市(種子島)生まれ。生駒聖書学院院長。現在、35年以上続いている朝日放送のラジオ番組「希望の声」(1008khz、毎週水曜日朝4:35放送)、8つの教会の主任牧師、アフリカ・ケニアでの孤児支援など幅広い宣教活動を展開している。
このコラムで紹介する著書『天の虫けら』(マルコーシュ・パブリケーション)は、98年に出版された同師の自叙伝。高校生で洗礼を受けてから世界宣教に至るまでの、自身の信仰の歩みを振り返る。