三年生の夏になり、生駒キリスト教会に泊まり込んで奉仕することになった。この教会には一年生のころから派遣されていた。喜島巌牧師は温厚な方で、いっしょに訪問伝道に歩いてくれたり、路傍伝道などを教えてくれたりした。
礼拝の前には消防会館を借りて、日曜学校をした。毎週寝坊の子どもたちを訪ねて起こし、朝九時からの集まりに誘った。子どもたちの中に木平歯科医院の娘、恵巴さんがいた。いつも私が朝早く起こし、自転車の荷台に乗せて日曜学校に連れて来ていた。当時彼女は小学二年生だったが、よく「先生、口を開けて」とせがみ、歯並びの悪い歯を見つけると、「私が歯医者さんになったら治してあげる」と言うのが口癖だった。それから三十年後、ほんとうに歯の治療をしてもらうことになった。懐かしい思い出である。
夏の伝道奉仕は、朝の祈りから始まり、午前と午後は訪問伝道へ出かけるのが日課だ。しかし「ごめんください。キリスト教会です」と案内を請うても、ほとんど「間に合っています」「結構です」と言われるばかり。時には塩を撒かれたり、シッシッとニワトリを追うように手を振られたりと、散々な目にも遭った。そうして毎日歩き回るうちに、靴に穴が開いてしまった。買いたくてもお金がないので、新聞紙を敷いたり、段ボールを入れたりしたが、夕立の後などは悲惨極まりなかった。それでも平気で訪問を続けていたある日、ある家で「どうぞ上がってください」と言われた。うれしかった。やっと聞いてもらえる人に会えたと喜んだが、足元を見て愕然とした。穴の開いた靴に水が染みている。真っ赤になり、玄関先で立ち話することしかできなかった。恥ずかしい。悔しい。惨めさで涙がこぼれそうだった。
重い足取りで帰る時、「求めなさい。そうすれば与えられます」という声を聞いたように感じた。クート院長は、入学した日からいつも、「求めるだよ。祈るだよ。靴のため、帽子のため、シャツのため、何でも祈るだよ」と、口癖のように勧めてくれていた。だが私は一枚のYシャツでも平気だった。夜になると洗面器でジャブジャブと洗い、校庭でくるくる回して水を切り、掛けておけばたいてい朝には乾いていた。乾きの悪い冬の朝も、体熱で乾かしてしまっていた。若さの特権、貧学生ゆえの知恵。一年間シャツ一枚で過ごし、それをだれにも気づかれないようにする秘訣も知っていた。そして祈りは物質を求めるものではない、神との高尚な対話であるなどと主張していた。
教会に帰り、講壇の前にひざまずいて、生まれて初めての素直な祈りを献げた。「天のお父さま。靴が破れました。新しい靴をください。アーメン」。素直に、純粋に求めた。
その夜の集会が終わって部屋に入ろうとしたら、ドアのところに一通の封書がはさんであった。一瞬ラブレターかな、それだったら困ると思い、牧師に見つからないように聖書にはさみ、後で開いてみた。「義之兄へ。このお金はあなたが一番必要なことのためにお使いください」と記されていた。差出人の名前はなかった。あまりにも早い神からの答えに驚きながらも、神が求めに応えてくれたことを感謝し、祈りへの大きな確信が与えられた。
「祈らなくてもその手紙はきっと届いたに違いない。偶然ですよ。長い人生、時にはそんなこともあるものですよ」と言う人もいた。祈らなければ偶然と言われても仕方がない。しかし確かに祈った直後だった。神が答えてくださったのだ。人生を偶然の産物にするか、祈りの答えとして受け取るかは、祈った人だけが知る特権である。その日以来、生涯のすべての働き、必要のすべてが祈りの答えとして、備えられてきたことを感謝している。
いろんなことがあったが、三年間の学院生活は楽しかった。わが青春に悔いなしである。とは言え、歌は相変わらずの音痴だったし、人前で話せば赤面恐怖症で、耳のつけ根まで真っ赤になる。三年間で説教をしたのは、たった一回だけ。その一回も、チャペルの当番で十五分間もらったのに、足がガタガタ震えて、たったの五分間しか話せなかった。
三年間、寛容と忍耐をもって教え導いてくれた院長はじめ、舎監の込山牧師、長曽我部牧師、喜島牧師、安藤牧師、可知牧師、すでに天国に凱旋された為房牧師、村田牧師など、多くの神の器に支えられた献身の日々だった。また、同じ釜の飯を食った小林さん、原牧師夫妻、勝牧師、先輩の村上牧師夫妻、中川牧師夫妻、そして何よりも献身へと導いてくれた兄の榮一仰牧師にも感謝している。さらに後輩の三坂牧師や黒石牧師夫妻、奈良崎牧師夫妻、教師としての最初の授業を忍耐をもって聞いてくれた向牧師夫妻や、前川牧師夫人などにも、いくら感謝しても感謝し足りない。
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榮義之(さかえ・よしゆき)
1941年鹿児島県西之表市(種子島)生まれ。生駒聖書学院院長。現在、35年以上続いている朝日放送のラジオ番組「希望の声」(1008khz、毎週水曜日朝4:35放送)、8つの教会の主任牧師、アフリカ・ケニアでの孤児支援など幅広い宣教活動を展開している。
このコラムで紹介する著書『天の虫けら』(マルコーシュ・パブリケーション)は、98年に出版された同師の自叙伝。高校生で洗礼を受けてから世界宣教に至るまでの、自身の信仰の歩みを振り返る。