第3章 ウルトラ良い子の抑圧の最大要因
Ⅳ. 両親からの抑圧と諸問題
1)父の役割と母の役割の欠如による抑圧の素地
③真善美、神愛聖、命霊祈、天永滅などの見えざる尊いものへの畏敬心の啓発の欠如
ⅱ. 神愛聖
さて、次に重要なことは、「見えざる尊いものへの畏敬心」の第二の類型として、「神、愛、聖」が挙げられる。これこそ人間にとって最も畏敬しなければならない尊い存在であり、かつ最重要の認識の対象である。これは決して肉眼で検証することの出来るものではないが、本来、人間である限り誰でも、神が天地創造の初めから人間各人に分かち与えられたその理性と感性と霊性を駆使することによって、必ず認識することが出来るはずのものなのである。
そもそも「愛」と「聖」は、元来、「神」なるお方の本質に属する極めて尊く、聖い性質(神の属性)であって、神は人間にこれに倣って生きるよう定められたのである。それゆえ人間は、その理性、感性、霊性を幼い時より養い育てることによって、「神」ご自身の存在と共に、その神の本質的属性である「愛」と「聖」を認識することが出来るようになるのである。
ちなみに聖書には、以下のように記されている。
a. 「愛」について
「愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです」(Ⅰヨハネ4章8節)
「神がこのようにわたしたちを愛されたのですから、わたしたちも互いに愛し合うべきです」(同4章11節)
「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」(ヨハネ13章34節)
b. 「聖」について
「召し出してくださった聖なる方に倣って、あなたがた自身も生活のすべての面で聖なる者となりなさい」(Ⅰペトロ1章15節)
「あなたがたは聖なる者となれ。わたしは聖なる者だからである」(同1章16節)
かくして人間は、「神」の存在を認知して、「愛」と「聖」を追い求めて生きる時、人間として最も「真・善・美」に満ち溢れた極めて尊い神に近似した存在として、生きることが出来るのである。とりわけ「ウルトラ良い子」たちは、平均的な世間一般の人々に比べて遥かに強く、このような生き方を渇望する存在として生まれついており、特色づけられていると言っても過言ではないだろう。
それなのに通常世間の父母たちは、このような「ウルトラ良い子」の生まれながらの感性や特質に気付かず、それを無視し、およそそれとかけ離れた、それどころかむしろそれに逆行するような躾や養育を平気で押しつけてしまっているのである。ここにも恐るべき抑圧が惹き起され、また大きな過ちが犯されてしまっているのである。
そこでこれを未然に防ぐためには、よくよく小さい頃から、いわゆる「神信仰」と言う宗教的枠組みを越えて、彼らの知性(理性)に神の存在を知らしめ、彼らの感性に「愛」と「聖」を体感させ、願わくは彼らの霊性に「神」、「愛」、「聖」の存在とその尊さを畏敬させるよう養育しなければならない。(続く)
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峯野龍弘(みねの・たつひろ)
1939年横浜市に生れる。日本大学法学部、東京聖書学校卒業後、65年~68年日本基督教団桜ヶ丘教会で牧会、68年淀橋教会に就任、72年より同教会主任牧師をつとめて現在に至る。また、ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会および同教会の各地ブランチ教会を司る主管牧師でもある。
この間、特定非営利活動法人ワールド・ビジョン・ジャパン総裁(現名誉会長)、東京大聖書展実務委員長、日本福音同盟(JEA)理事長等を歴任。現在、日本ケズィック・コンベンション中央委員長、日本プロテスタント宣教150周年実行委員長などの任にある。名誉神学博士(米国アズベリー神学校、韓国トーチ・トリニティー神学大学)。
主な著書に、自伝「愛ひとすじに」(いのちのことば社)、「聖なる生涯を慕い求めて―ケズィックとその精神―」(教文館)、「真のキリスト者への道」(いのちのことば社)など。