第3章 ウルトラ良い子の抑圧の最大要因
Ⅳ.両親からの抑圧と諸問題
さて、以上のようにウルトラ良い子の身に起こる極度の抑圧の最大原因が何であり、何に基づくものであったのかを突き止めて来ましたが、次にお互いは、その抑圧の最大の付与者、つまり加害者が実にその子の両親自身であったという、極めてショッキングな問題について言及してみたいと思います。
このことについては、言わば本来聖域であるはずの幼稚園や学校という神聖な環境においてさえ、もはやそれは例外ではなく、まだ幼い無垢な子供たちから成長途上の児童たちまで、世俗的価値観に支配された幼児教育や学校教育制度の中で、日々洗脳・抑圧されていってしまうのです。
のみならず、しかも今やそれは家庭の中まで汚染が浸透し、もはやウルトラ良い子たちは何処へ行っても逃げ場のない状況に追い込められてしまっています。時には一般社会や幼稚園、学校以上に家庭の方が遥かに汚染が進み、世俗的価値観の枠組みの強烈な両親や祖父母、時には年上の兄弟姉妹、そして更には近隣に住む親類縁者などによって、より強力に抑圧を受けていたりする場合もあるのです。
しかし、こうした中にあっても何よりも圧倒的に多い典型的事例は、以下のような両親若しくはそのいずれかに淵源する抑圧です。
A.先ずは、そもそも父の役割と母の役割の欠如ということが底辺にあって、それが真の背後の原因となって、ある時から徐々にその子の抑圧を引き起こす結果となったというケースです。
この場合の父母の役割の欠如とは、一体どのような役割なのでしょうか。それは概ね以下のような幼少期、つまり人間性の形成・発育期に充分に与えてあげなければならなかった基本的重要事の欠如を意味します。
ⅰ.第一に、先ず誕生から3歳までの間に存分与えてあげなければならなかった「愛による十全な全面受容」の欠如です。
これはその子の発信する心の声に良く耳を傾け、その要求する真意をしっかりと解読し、それを満たしていく豊かな受容を意味します。こうすることにより、その子の心に豊かな充足と安息を齎し、徒に無駄な不安やいらだち、更にはストレスを起こさせないで済みます。
その結果、その子が心まろやかな子供として成長していくことに役立ちます。のみならず何よりも大切なことは、こうすることによってその子は、自分が両親からどんなに深く愛され尊ばれている存在であるかを体感していくことが出来ます。
この体感こそ極めて重要であって、それは言葉や説明に遥かに優って自己の尊厳と存在価値、生への喜びを、まさに体感をもって学習し、将来如何に他者や外界からの抑圧や挑戦を受けようとも、それらをみごとに跳ね除け、自ら消化していくことの出来る充分な資質、能力を培うことになり、堅固にして豊かな感性を育成することに確実に繋がるのです。
平たい言葉でこれを表現するならば、将来決して如何なる場面でも「パニック」を起こさない子供に育っていくのです。ですから、この「愛による十全な全面受容」が極めて重要なのです。しかも、この学習をするのに最適な時期が、生後満3歳ぐらいまでの時期なのです。(続く)
◇
峯野龍弘(みねの・たつひろ)
1939年横浜市に生れる。日本大学法学部、東京聖書学校卒業後、65年~68年日本基督教団桜ヶ丘教会で牧会、68年淀橋教会に就任、72年より同教会主任牧師をつとめて現在に至る。また、ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会および同教会の各地ブランチ教会を司る主管牧師でもある。
この間、特定非営利活動法人ワールド・ビジョン・ジャパン総裁(現名誉会長)、東京大聖書展実務委員長、日本福音同盟(JEA)理事長等を歴任。現在、日本ケズィック・コンベンション中央委員長、日本プロテスタント宣教150周年実行委員長などの任にある。名誉神学博士(米国アズベリー神学校、韓国トーチ・トリニティー神学大学)。
主な著書に、自伝「愛ひとすじに」(いのちのことば社)、「聖なる生涯を慕い求めて―ケズィックとその精神―」(教文館)、「真のキリスト者への道」(いのちのことば社)など。