第3章 ウルトラ良い子の抑圧の最大要因
Ⅳ.両親からの抑圧と諸問題
1)父の役割と母の役割の欠如による抑圧の素地
①満三歳頃までの愛による十全な全面受容の欠如
今ここで「満三歳頃」までにと記しましたが、勿論これは厳密な意味で期間限定したのでは決してありません。経験的、臨床的な様々なケースとデータを見て、総合的に判断すると、ほぼこの辺りの年齢が最も適切な目安となるということになるからです。
とはいえ、当然のことながら子供たちの固有の性質や特性などによっては、ある子供にはこの時期より早めに、次のステップに進んでもよろしいし、その反対に、ある子供には更に十分に全面受容の体験とその喜びを味わわせてあげる必要があったりするわけです。
ここで更に二、三の注意事項を申し上げますと、
ⅰ、先ず第一は、油断して、甘く見積もって、三歳までは長過ぎると判断して、余りにも早めに「全面受容」を切り上げてしまわないで下さい。充分に、かつ徹底的に愛され受容されなかった子供は、心のどこかに生涯通じてと言ってもいいほど、その「受容されなかった」という「非受容の空白」経験から来る「甘えの潜在願望」が持ち越しされて、事あるごとに「受容されたい」、「受容してほしい」と心の内で叫ぶ者になってしまうのです。
しかし、それは今更両親にも、ましておや他人にみっとも無くて言えません。のみならず、そんなことを言おうものならたちどころに「甘えるな!」とか「もう幾つだと思っているのか!」等々、非難を浴びせられることは自明の理です。そこでいつしか鬱々、悶々とし始め、抑圧が増し、遂には異常心理、異常行動まで呈するようになって行ってしまうのです。
ですから、所定の期間は充分「全面受容」して頂きたいのです。これを決して侮ってはなりません。残念ながら今日非常に多くの方々が、この点において失敗しておられます。特に子供のしつけや教育に熱心なご家庭で、この失敗が続出しています。
ちなみに、ここでよく一般には、そんなにいつまでも「全面受容」していたら、何も自分では出来ない「甘える」人間になってしまうのではないかと質問されますが、不思議なことに全く心配はありません。むしろその逆です。
この満三歳頃まで充分徹底して全面受容された子供は、その心と体の内に、自らが如何に両親から愛され、尊ばれ、価値ある存在として受容されたかを、体感を伴って深く認識され、その心と霊魂と肉体は、「全人的に充足」するのです。それゆえ自ら「甘えから自立」に向かって歩み出すことが出来るのです。
しかしその逆に、この重要な時期に充分「全面受容」されなかった子供たちは、どこかで「非受容の空洞」を満たされたいと切願し、前述したように「甘えの潜在願望」に駆り立てられて、遂に「甘える人間」になってしまうのです。
ところがここで重要な理解は、彼らはいわゆる自分が甘えたくて甘えているのではなく、彼らの心の奥にあるゼロ歳から三歳頃までの両親からの、特に母親からの充分な受容を受けられなかったために心の内に出来上ってしまった「非受容の空白」が、「甘えの潜在願望」となって、今や叫び出しているのです。
そこでこの彼らの真相、現実をよく理解・認識するところから、彼らを愛をもって「再受容」し直して行く、彼らのための「癒やしと回復のミニストリー」が立ち上がるのです。(続く)
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峯野龍弘(みねの・たつひろ)
1939年横浜市に生れる。日本大学法学部、東京聖書学校卒業後、65年~68年日本基督教団桜ヶ丘教会で牧会、68年淀橋教会に就任、72年より同教会主任牧師をつとめて現在に至る。また、ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会および同教会の各地ブランチ教会を司る主管牧師でもある。
この間、特定非営利活動法人ワールド・ビジョン・ジャパン総裁(現名誉会長)、東京大聖書展実務委員長、日本福音同盟(JEA)理事長等を歴任。現在、日本ケズィック・コンベンション中央委員長、日本プロテスタント宣教150周年実行委員長などの任にある。名誉神学博士(米国アズベリー神学校、韓国トーチ・トリニティー神学大学)。
主な著書に、自伝「愛ひとすじに」(いのちのことば社)、「聖なる生涯を慕い求めて―ケズィックとその精神―」(教文館)、「真のキリスト者への道」(いのちのことば社)など。