「救い主イエスがそばにいると、私たちの心は刺激を受け、何かに対してうながされる」「日本のクリスチャンは、冷めたクリスチャンであってはならない。生きているものには熱がある」。
「イエスの温かいまなざしと愛情に満ちた導きを(本文から)感じる」「主は私たちのチャレンジを受け入れてくださる。新しい成長への歩みを受け入れてくださる」。
松山福音センター主任牧師の万代栄嗣牧師が19日、東京・銀座で福音を語った。万代師は、マタイ14:22−33を本文に、多くの日本のクリスチャンに欠けている聖霊から来る信仰の情熱と、一人ひとりが新しい信仰の次元へ踏み出すことをいつも願い、その成長を助け、その歩みをどんなときも温かく見守る神の御心を伝えた。
本文で水の上を歩かれるイエスの姿を見たペテロはイエスに、「主よ。もし、あなたでしたら、私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになってください」(マタ14・28)と話す。イエスは、「来なさい」(同29)と言われた。
ここで、ペテロが水の上を歩くこと自体に何か特別な意味があったのかどうかはわからない。しかし、それは確かにペテロにとって「不可能」なことであった。イエスがペテロに「歩きなさい」と命じたのではない。ペテロが何かに促され、自ら、歩きたいと願った。
万代師は、「キリストがそばにいるなら、人は心に刺激をうけ、何かに対して促される」「できるはずのないことを、今までしたことのない『何か』をさせてくださいと、ペテロはとっさに言った」とペテロの信仰を解説し、「(信仰が)生きているものは熱い」「私たちは冷めたクリスチャンであってはならない。あまりにクールすぎて、信仰を働かせずに終わってはいけない」と語った。
イエスは、とんでもない願いごとを訴えるペテロを非難せず、一言、「来なさい」と言われた。そして、風を見、信仰を弱くして溺れかけたペテロにイエスは、「信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか」(同31)とそっと手を伸ばして彼をつかんだ。
この部分から、「イエスの温かいまなざしと愛情に満ちた導きを感じる」と万代師は語る。信仰が弱く、失敗の多かったペテロには、いつも温かく見守るイエスのまなざしが注がれていた。イエスはいつもペテロの成長を期待されていた。主イエスを3度も否定する致命的な欠点をさらけ出したときでさえ、イエスは、「振り向いてペテロを見つめられた」(ルカ22・61)。
主は、ペテロの中の可能性を誰よりも固く信じていた。同じく主は、私たちの可能性を信じ、一人ひとりの新しい成長への歩みを受け入れてくださる。イエスをそばに感じると、その人の心は刺激を受ける。イエスのいのちに触れると、何かがしたくなる。主は、その人に失敗が多いこともすべて最初からご存知だ。だが主は、その人が「させてください」と心から願えば、「やってみなさい」とおっしゃる。彼の成長を温かい目で見守り、倒れないようにと、もっとも近くでいつも手を差し伸べてくださっている。
「クリスチャンとして生きるのは素晴らしいこと。ちまちました生活ではなく、神のご計画の中で生きる生活を選べる。神からいのちを与えられたクリスチャンとしてのいのちは生きているでしょうか」と万代師は集まった会衆に問いかけた。
万代師は来月、インドで2万5千人を集めて伝道集会を行う。数万人規模の海外伝道集会を、アジアを中心に20年以上続けてきた。同じく海外伝道を行っていた父の姿に刺激を受けたからだという。
「純粋に私の心は刺激を受けていた。『この小さな者のメッセージで何万人ものいのちが変わりますか』と神に祈った。しかし神は、素晴らしい可能性と恵みを備えていてくださる。聖霊の臨在の中で、もっと心を熱くしていきましょう」―万代師を通して語られる神の御言葉が、集まった会衆の心の奥深くに届いていた。