社会で働きながらも純子氏は教会においても初心者のための集会や月に2回礼拝奉仕を行っており、「教会の奉仕も仕事も好きです」と述べた。保険師として働いてきた純子氏は1992年に母子保健奨励賞を受賞し、天皇皇后両陛下に拝謁している。純子氏は、「そういう仕事の功績が認められて、たくさんの表彰を受けて来ましたが、これは自慢話ではなく、すべてについて大きく紹介していただき、『ご主人はキリスト教牧師です』と書いて宣伝していただきました。数少ない女性管理職に抜擢され、7年管理職をして定年を迎えました。地縁・血縁・酒の縁は全くなく、親族もひとりもいないという茨城県で開拓を始めたわけですが、神様はそういう私の仕事をバックアップして下さり、祝福されたと思っています。世の中で働くことによって得られるたくさんのメリットがあります。信徒の相談事は、聖書に書かれてある御言葉の意味を聴くというよりも、ほとんどが『痛い、痒い、困った、悩んでいる』という人生経験そのものの相談ばかりです。ほとんどの相談事は、私自身が人生で海千山千経験して来たと思っていますので、相談はできますし、もちろん聖書も学んでいますから、そこからもアドバイスができます。そういう面ではこれまで社会で働いて来てすごく良かったなと思っています」と証しした。
ワークショップの質疑応答では、「仕事をするということは愛の実践の場でもある。言葉だけではなく、 仕事の中で良い証を立てて行くということは、聖書の中心的な行為を実現させることだと思う。忙しい中でもそのようにしていかないと人々の中に入って行けないのではないかと思う」、「今後の伝道のあり方の一つの路線として、今の神学校ではほとんどフルタイムの伝道者という考え方に基づいて教育されており、それはそれで必要だが、『(フルタイムで伝道師になるか、社会で働きながら伝道するか)選択ができる』ということはもっと考えて良いことだと思う」などの意見が上がった。
また社会で働きながらキリスト教の伝道を行う際に試みとなることはないかとの質問に対し、純子氏は、「市役所に就職したとき、ある先輩が私がキリスト教の教会の奥さんだということを市役所中に言いふらしましたので、それが私を支えました。皆に言いふらされたことによって、自分のクリスチャンとしての立ち位置に触れることなく生きることができました。『世の中に入って生きたい』という誘惑が無く神様に守られました。最初の先輩による宣伝がものすごく効きました。キリスト教会の牧師の妻ということでけげんな顔をして私を見ていましたが、『変わったひとだな』と思われたことが逆に私を支えたと思っています。逃げ場がなくなり、ごまかしもできなくなってしまったからです。そういうことが私にとってすごく益になったと思います。さらにまもなく魂が救われてきたことが私を支えてくれました。世の中の慣習に迎合してしまうとか、そういうことの苦しみは信徒の人は社会で働いている場合にかなりあると思いますが、いきなりの(牧師夫人であることを皆に言いふらされたという)洗礼を受けた結果、非常に私は(世の誘惑から)ガードされることになりました」と証しした。
渡邊氏は「社会的なことで言えば、子どもたちが学校に入るようになってからが試みでした。幼稚園はキリスト教関係の幼稚園でした。開拓伝道を始めたときに、先輩の教会関係者には『この土地になじむのに10年かかる』と言われました。子どもが小学校に入り始めてすぐに、『牧師である』という私の立場を向こうが理解していただくことで、私の立場に賛成してくれることが多くありました。地域で国勢調査の委員などの活動に関わりながらも、キリスト教に反する内容の活動は、教会が皆さんからクリスマスに募金を集めないようにそれはできません、ということをはっきり言うことによってお互いに理解し合って対応してきました。地域と関わる中で、近隣の方々がクリスマスの集会に来られるようになりました。普段してきたことがそういう形で評価されつつあるのかなと思っています」と証しした。
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