―具体的に現場で起こっていること―
1.祖先祭祀のブレーキによって現場で起きていること
★ キリスト教を信じない理由に、
①「家は仏教ですから、仏壇を守らなければなりません。(家を継ぐので…)墓もありますので守らなければならない…だから信じられません…!」
★仏教や神道は、キリスト教のように、個人個人の問題というより、家族単位や集団単位で行動するので、キリスト教の個人的な行動に対して圧力になります。
② ご先祖を拝まぬ者は、人でなしだ、恩知らずだ、同族への反逆者だ!と強烈に批難されます。時には暴力沙汰になり、或いは親子の縁を切ると言われ、交わりを絶たれます。(肉体的、精神的強迫)
③ 御先祖を拝まぬ宗教はダメだ。だから、キリスト教は日本に合わないダメな宗教だ…と。家族の中からキリスト教信者が出ることを忌み嫌います。(徳川幕府の迫害の後遺症でもあります。)
④ だから多くの人々が、トラブルを起こさない為に、形だけをまねています。そうすれば、事件になりません。皆、形をまねて身の安全を守っているように見える。第一、死んだ人に手を合わせれば、心が通じるのだろうか…形だけが通り過ぎていく…。
⑤ キリスト信者は
1)八分覚悟で自分の信仰を貫く…。すると孤立していく。
2)キリスト教は個人の信仰。仏教や神道は家単位で考えて行動しています。ですから、キリスト教は集団から抜け出すことをすると互いに思っているので、なかなか勇気がもてません。(洗礼を受けず、隠れキリシタンになってしまう人もいます。キリスト信者も家族でまとまれると少しは力となるのですが。)
3)キリスト信者でも…形だけ演じて、心で天の父に祈ればいいという解決法を考えている人々もいます。
4)多くのキリスト信者にとって冠婚葬祭の行事は、悩みのたねとなりがちです。考え方も形式も異なるからです。
★ 多くの人々にとっては、宗教も付き合いの一つなので参加しないと付き合いの悪い人というレッテルを貼られる。だから、交わりに入って同じことをしていれば安全という雰囲気です。信仰より、付き合いの世界なのです。心が育ちません。どうしたらよいのか、…第三篇で考えることにします(続きは次週掲載予定)。
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堀越暢治(ほりこし・のぶじ)
宇都宮大学農業土木科卒業。日本基督神学校卒業。学校法人東京キリスト教学園名誉理事。学校法人グレイス学園めぐみの園理事長。単立・創愛キリスト教会主任牧師。いのちありがとうの会理事長。著書に「人体の不思議発見」「大自然の不思議発見」(いのちありがとうの会)など多数。
■外部リンク
いのちありがとうの会ホームページ