イスラエル人は、エジプトを大脱出し、約束の地カナンへ導き入れられ、祝福されていたはずでした。士師の時代を経て、幾多の王も与えられたのですが、偶像礼拝に走ってしまい、神から裁きを受けるのです。敵の軍隊に蹂躙され、優秀な人々は捕虜となり、神殿は崩れ、イスラエルは廃墟となります。
イスラエルの滅亡後、幻の中で、神が預言者エゼキエルを一つの谷に連れて行きます。見渡すと、戦場で戦って殺された仲間のおびただしい数の骨が、葬られることもなく、うず高く積み上げられていました。その時、神は「これらの骨は生き返ることができるだろうか」と問われたのでした。
1.死からの復活はあるかと問われる神
干からびた骨は死の象徴です。灰にも等しい骨を前に神は、「これらの骨は生き返るか」と問い掛けられました。エゼキエルには十分な信仰はなく、「神様、あなたしか知りません」と答えています。預言者であっても、明確な答えはありません。
去年の3月11日に東北地方は大津波で家も工場も流され、2万人近くの方が亡くなり、一挙に廃墟となりました。福島では、原発事故で人っ子一人住めないゴーストタウンとなった町もあります。訪れた人々は問い掛けられることでしょう。「この街は、再生できると思いますか」。早く行動し始めなければならないのに、日本中の皆がはっきりした答えを出すことを戸惑い、誰も復興を宣言できていません。
私たちの心の中にも荒地があったり、人間的に大変な病を宣告されたり、死しか見えないようなことがあるかも知れません。でも命の与え主である神はあなたと向き合われ、問い掛けられます。「あなたの生活の中で命を失ったものはよみがえるか」、「あなたの病は癒やされるか」。私たちも弱く不完全ですが、「駄目です」という答えではなく、せめて、「神様、あなたはご存じです」と答えを神に委ねたいのです。
2.命を生み出される神の本質
神は預言者に、「預言して言え。息よ、四方から吹いて来い」と命じられます。旧約聖書が書かれたヘブル語では、「息」という言葉は、「風」や「霊」と同じです。彼は自分で信仰を働かせることはできませんでしたが、命じられた通り、「神の霊よ。吹いて来い」と預言します。すると、骨と骨とがゴトゴトぶつかり合う音が響いて繋がり合い、肉や血管が生じ、皮膚が覆い、生き返った人間の大集団となったのです。
無から有を生み出す創造の働きが神の本質です。私たちの答えがどうであれ、神は命を生み出して下さいます。癒やしを求める最大の根拠がここにあります。弱っている者が強められる神の働きに触れたいのです。癒やしの根拠は、私たちの信仰の熱心さや頑張りではありません。
神は自ら命をもって存在され、神がおられる所どこででも、死の世界に命が芽生え、荒野に道が、砂漠に川が生じます。癒やし主のご性質に感謝し、「生かして下さい」と祈ろうではありませんか。
万代栄嗣(まんだい・えいじ)
松山福音センターの牧師として、全国各地、そして海外へと飛び回る多忙な毎日。そのなかでも宗教を超えた各種講演を積極的に行っている。国内では松山を中心に、福岡、鹿児島、東京、神戸、広島、高松にて主任牧師として活動中。キリスト教界のなかでも、新進気鋭の牧師・伝道者として、注目の的。各種講演会では、牧師としての人間観、ノイローゼのカウンセリングの経験、留学体験などを土台に、真に満足できる生き方の秘訣について、大胆に語り続けている。講演内容も、自己啓発、生きがい論、目標設定、人間関係など多岐にわたる。
また、自らがリーダー、そしてボーカルを務める『がんばるばんど』の活動を通し、人生に対する前向きで積極的な姿勢を歌によって伝え続け、幅広い年齢層に支持されている。
国外では、インド、東南アジア、ブラジル等を中心に伝道活動や、神学校の教師として活躍している。