巡礼の違い
空海信者には同行二人という遍路巡礼があり、キリスト者には神(父・子・聖霊)が共にいて天国に向けて歩む天路歴程があります。どこが違うでしょうか。
写真は和歌山県高野山の入り口の大門や香川県善通寺入り口の「不闕日々之影向 検知處々之遺跡」と板や石に書かれたものです。その意味は、空海が、いわれのある場所や遺跡に日々出向いて現れ、人々を助け救っている、とのことです。
真言宗では空海の死を入定と言い、死んだのではなく生きて信者を助けていると信じられてきました。
835年3月21日に空海は62歳でこの世を去りました。その死には火葬説と入定留身説(生き続けているとの意味)があります。
空海が世を去る6日前に『遺告二十五ヶ条』を作成し、その17条には次のようにあります。
「真言宗の祖師や私空海の顔を見なくとも、心ある者は必ず私自身の名号(遍照金剛)を聞いて恩徳の由来を知りなさい。・・・私は目を閉じてから兜率天に昇り、弥勒菩薩の前に行く。そこで雲間から地上を垣間見、弟子たちの様子を見る。そして56億7千万年後に、私は弥勒と共に地上に帰ってくる。私の入滅の跡を見よ。よく勤める者を天に救い、不信者は不幸を見るであろう。今後も努力あるべし、おろそかにしてはいけない」(現代訳)
ここから空海亡きあと、修行僧や民衆たちが空海と一緒に歩む同行二人巡礼信仰が起き、巡礼者の死後は空海がいる弥勒の兜卒天に入るとの信仰も広がり、民衆化していきました。多くの男女が参詣する四国八十八カ所遍路(徳島を発心の地、高知を修行の地、愛媛を菩提の地、香川を涅槃の地として、四国を一周する)の同行二人もその表れです(写真)。
聖書は4000年以上も前から「同行二人」に似た、「信徒と共に歩む神(神同行=神偕行)」とか、「神われらと共にいます(神偕我儕=神我同在)」の信仰告白が多くあります。一例として「エノクは神とともに歩んだ」(創世記5:24)。
復活後のイエスは昇天前に「わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます(我尓同在)」(マタイ28:20)と宣言、さらに信者二人の傍らでも「二人と共に道を歩いておられた(偕行二徒)」(ルカ24:15)とあり、復活のイエスはどこにでも同時に顕現されて、生きていることを証ししたと伝えています。
唐代の中国景教信者たちもこのような歩みをしていました。
キリスト者の巡礼には、イエスが歩まれたイスラエルへの巡礼があり、世界の各地でも巡礼風景が見られます。最終的にイエスのおられる天に向けての歩みがあり、それはイエスと共に死んで、イエスと共に復活し、イエスのおられる天の所に住み、天に国籍がある者とされたことから、天国への巡礼「天路歴程」があります。
フランシスコ・ザビエル(1506~1552)は、16世紀の南インドの信徒の巡礼を日記『聖フランシスコ・ザビエル全書簡』第2章10【1542・9・20】(河野純徳訳、平凡社)で次のように紹介しました。
「・・・真夜中と朝課と晩課、また終課の時と、一日に4回教会へ行きます。彼らは鐘を持たず、私たちが聖週間にするように、拍子木で人々を呼び集めます。信者たちは、カシズ(教職者)の唱える祈りが自分たちの言葉ではないために、[その意味を]理解しません。私にはカルデア人(バビロニア南部)の言葉だと思われます。彼らが唱えている3、4の祈りを私は書き取りました。この島へは2度行きました。彼らは聖トマ(使徒トマス)を尊敬し、この地方で聖トマがつくった信者の子孫であると言っています。カシズの唱える祈りのなかで、私たちがアレルヤというのとほとんど同じ発音で、幾度もアレルヤ、アレルヤと言います」(写真は南インドのサントメ教会内の使徒トマス像)
南インドでは、ザビエルが来る以前から、ローマ・カトリック教会が入る以前からキリスト信者がいました(南インドではソロモン時代のユダヤ教徒会堂も建っていました)。
文中のサントメとは聖トマスのことで、日本でも桃山時代にサントメ縞織物が伝わり、長崎では祈りのサントメ経も伝わったほど、サントメは一部で知られていました。
2013年に南インドの幾つかの使徒トマス教会を訪ねた際、多くの巡礼者に出会いました。インドは暑いので朝早くから幾つかの教会を巡っていた方々に出会い写真を撮ったのがその一枚です。またバスから見えるどの教会堂もよく似た建築で、十字のシンボルの上には聖霊のシンボルである鳩が彫られていました。
空海の同行二人とキリスト者の主と共に歩むことは、似ていますが違う部分もあります。空海が死から復活したと伝えたり、信じたりする人はいませんし、空海信者の同行二人巡礼は罪滅ぼし的な善行のためにあると聞きました。
キリスト者は救い主の死からの復活と昇天の事実により国籍が栄光の天国であり、やがてイエスが信徒を迎えに栄光の姿で再臨するとも教えられ信じています。空海のそれとは大きな違いがあると言えるでしょう。
キリスト者は、地上では旅人で寄留者であり、様々な困難や誘惑もありながら、内にいます聖霊に導かれ、聖書を学び、神を賛美し、主イエスの御国に凱旋していきます。次の聖句も信頼する聖句の中の一つです。
「わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。・・・わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです」(ヨハネ14:2、3)
「もしあなたがたが、キリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこにはキリストが、神の右に座を占めておられます」(コロサイ3:1)
※ 参考文献、引用文献
1. 『景教—東回りの古代キリスト教・景教とその波及—』(改訂新装版、2014年、イーグレープ)
2. 『高野山真言宗檀信徒必携』(1988年、高野山真言宗教学部)
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川口一彦(かわぐち・かずひこ)
1951年、三重県松阪市に生まれる。現在、愛知福音キリスト教会牧師。日本景教研究会代表、国際景教研究会(本部、韓国水原)日本代表。基督教教育学博士。愛知書写書道教育学院院長(21歳で師範取得、同年・中日書道展特選)として書も教えている。書道団体の東海聖句書道会会員、同・以文会監事。各地で景教セミナーや漢字で聖書を解き明かすセミナーを開催。
著書に 『景教—東回りの古代キリスト教・景教とその波及—』(改訂新装版、2014年)、『仏教からクリスチャンへ』『一から始める筆ペン練習帳』(共にイーグレープ発行)、『漢字と聖書と福音』『景教のたどった道』(韓国語版)ほかがある。最近は聖句書展や拓本展も開催。
【外部リンク】HP::景教(東周りのキリスト教)