1. 敦煌で発見された唐代作の序聴迷師訶経<イエス・メシア経>の現代訳(続き)
弱い者を見て欺いてはいけない。貧しい子どもを見るように顔を反らしてはいけない。恨まれている人が飢えていたら食事を与え、恨み事をなくしてあげなさい。もし男が努力していたらその努力に報い、美味しい飲み物をあげなさい。衣服を着てない者がいたら衣服をあげ、子どもにも財や物をあげなさい。それをその日のうちにしてあげなさい。
子どもには決まり事を作り、寒さや凍てつくことから守ってあげなさい。神様の力が現れても驚いてはいけません。神様こそ力のある方で、驚くことだけでなく災禍も与えるお方です。
貧しい子どもがお金を願うなら、与えてあげなさい。お金がないなら与えることはできないが、み心にかなうように与え、布施したと考えてはいけない。
人が皮膚病を宿しているのを見ても嘲笑ってはいけない。この人は皮膚病となって自由を失ったのだから。
貧しい子どもが壊れた服を着ていても嘲笑ってはいけない。
人をだまして物を盗んではいけないし、陥れてもいけない。人が訴えられたときは真実に基づき、決して曲げてはいけない。
身寄りのない独り者や婦人が訴えられている時、偏見や差別的な思いで裁いてはいけない。また心を高ぶらせたり誇張したりせず、二枚舌で軽々しく話し、互いを争わせてもいけない。神様の教えに求め、州や県の役人に訴えや答えを得てはいけない。
神様の戒めを受けた者は、他人を憎んではいけない。すべての人に対し、いつも善の心を抱き、悪を受けても悪を願ってはいけない。多くの人の中でも少なき人の中でも良きことを行いなさい。
もし人が願いを起こすとき、神様の戒めを心に写しなさい。だれでも神様の教えにより頼むことがなければ何もできない。神様の教えにより頼む人こそ戒めを受けた人である。
もし神様の教えにより頼まないなら、その人は戒めを受けたのではなく、神様が処分される。神様の処分は長老や大人と子どもに向かうゆえに、自らをいさめ、神様の良きことを行うのが神様の御心である。
人は神様により頼み、神様の教えによって殺してはいけない。祭祀においても殺さず、勝手に殺して祭祀とした肉を食べたり、美しい物を食べたりすることは神様に対して偽った行為である。だから神様は羊を生け贄としたのである。
人が神様の教えにより頼まず、好き勝手に行い、神様に背くなら憐れみは少なく、人をいさめているにもかかわらず、人は勝手なことを行い、より頼もうとしない。
<解説>
前半は、弱者や困窮者に対する信仰者の心遣いを記し、これは聖書の教えの中心である「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい」の聖句を具体的に述べたもので、後半は神様の戒めを受けた信仰者がその教えに生きることを勧めています。
「受けるよりも与えるほうが幸いである」との主イエス・メシアの教えを大切にし、損得勘定の人間関係でなく、神様の教えに生きることを景教徒たちもしていたことが伺えます。
※ 参考文献
『景教—東回りの古代キリスト教・景教とその波及—』(改訂新装版、2014年、イーグレープ)
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川口一彦(かわぐち・かずひこ)
1951年、三重県松阪市に生まれる。現在、愛知福音キリスト教会牧師。日本景教研究会代表、国際景教研究会(本部、韓国水原)日本代表。基督教教育学博士。愛知書写書道教育学院院長(21歳で師範取得、同年・中日書道展特選)として書も教えている。書道団体の東海聖句書道会会員、同・以文会監事。各地で景教セミナーや漢字で聖書を解き明かすセミナーを開催。
著書に「景教-東回りの古代キリスト教・景教とその波及-」改訂新装版(2014年)、「仏教からクリスチャンへ」「一から始める筆ペン練習帳」(共にイーグレープ発行)、「漢字と聖書と福音」「景教のたどった道」(韓国語版)ほかがある。最近は聖句書展や拓本展も開催。
【外部リンク】HP::景教(東周りのキリスト教)