政治家や芸能人、作家、有名企業の社長らも始めるなどして、「ツイッター(twitter)」は日本でもすでに定着したようだ。140文字までという小さな「つぶやき」を発信するだけのサービスだが、既存メディアにも負けない影響力を持つほどだ。積極的につぶやきを発信するクリスチャンも多く、約1年前からツイッターを始めたリック・ウォレン牧師(米サドルバック教会)のつぶやきを閲覧する人(フォロワー)は現在11万人以上いる。メディア伝道に力を入れるバチカンも今年4月から6言語でつぶやきを発信し始めた。どのようにすればツイッターを伝道に生かすことができるのか。
ツイッターは、個々のユーザーが「つぶやき」と呼ばれる140文字までの短文を投稿し、また興味があるユーザー同士が「フォロー」という仕組みでつながりを持つことができるサービスだ。発信性の強いブログと、相互間のリアルタイムな対話ができるチャット、ユーザー間の関係性を生み出すSNSといった各サービスの特徴を併せ持つ。
ツイッターを使えば、自分の思いや感じたことをすぐさま公開する(つぶやく)ことができ、共感者がいれば、更に同じ内容がつぶやかれ(リツイート)、その情報は瞬く間に広がっていく。ユーザーにとって有益で、共感できる、率直な情報がユーザー自らの手によって選ばれ、広がっていくのである。
■ 逆転の発想 ウォレン牧師がツイッターを始めた理由
このように有益な機能を持つツイッターであるが、肝心なのはつぶやきの内容だ。「ツイッターはただ時間をつぶすだけのものと感じた」とウォレン牧師はツイッターを始める前の感想を語る。ツイッターの投稿欄には「いまどうしてる?」と書かれており、実際多くのつぶやきはこれに答えるかたちで日常の何気ないことについて書かれている。ウォレン牧師は、このようなつぶやきばかりであれば意味がないと感じたようだ。
しかし、ジョン・パイパー牧師(米ベツレヘム・バプテスト教会)のツイッターに関する文書を読んで考えが変わった。パイパー牧師はツイッターについて2つの見解を考えた。1つは、ツイッターを使うことで人々の関心が短絡的になり、ツイッターのとりこになって聖書や祈りから離れてしまう。現実の人間関係が薄れ、世のつまらない言葉ばかりに接することで、いのちについての深刻な話をしても真剣に受け止められなくなってしまう、というもの。もう1つの見解は、1つ目の見解は正しいが、それを理由にツイッターを利用しないのではなく、逆に聖書に基づいた言葉や祈り、創造的な言葉で満たすようにすればよいではないか、というものであった。ウォレン牧師がツイッターを始めたのはまさにこの2つ目の見解に共感したからだった。
ウォレン牧師がつぶやく上で注意していることは、「今何をしているか」ではなく、「今何を考えているのか」を書くことだと言う。ツイッターを使い始めて約1年でつぶやきの数は1100程度とそれほど多くはないが、「牧師が時代遅れのスタイルで説教するとき、教会は小さなものになってしまう。神は我々を500年、50年前の聞き手のために呼ばれたのではなく、今日の聞き手のために呼ばれたのだ」(7月5日)、「この言葉は信頼することができる。神は決定的な言葉を語ってくださり、それは良いものである」(7月7日)などとつぶやいている。
【ツイッター基本用語集】
・ツイート(つぶやき):ツイッターで発信するメッセージのこと。
・フォロー:相手のツイートを見るために登録すること。
・フォロワー:自分をフォローしている人。
「ツイッター」を伝道に使う(2) 個性あるつぶやき 愛あるコミュニケーションを | > |