前回のホーリネス弾圧について、近年の日本の教会の歴史で、そこまで迫害された教団があったことを初めて知りましたと、何人かの方から伺いました。時間と共に事件の風化的現象が起きていることを覚えました。しかし、戦前同じ教団に統合された者同士が、手を差し伸べて協力し合うことができなかったという霊的な体質は、余程気を付けなければ、将来も日本のリバイバルを阻む一因となりかねないことを個人的に覚えます。歴史は時代を経て、同じ様なことを繰り返すことが多いからです。
さて、私は大学卒業後、25歳のときに、勤めていた会社を辞して献身へと導かれました。入学準備もあって、故郷である北海道の稚内市へ帰省して、郵便局の内勤の仕事をしながら地元の開拓教会へ出席していました。その当時の聖協団稚内教会牧師の故・中塚重作氏は戦前、サハリンのホーリネス教会の信徒時代に、教会員全員で地元の警察署講堂へ出頭させられました。そして国体に反した非国民の教会として教会は解散させられ、集会を持つことも禁じられ、違反した場合には厳罰に処せられること、また牧師との接触も禁じられて、他の日本基督教団の教会への転会を余儀なくされた経験がありました。
講堂で竹刀を振り回し、大声で教会員を威嚇する治安警察は本当に恐ろしかった、と中塚氏は証ししています。また同氏は炭坑夫をしていましたが、仕事の合間をぬって祈りに専念していたそうです。自由に礼拝して伝道できる日が来ることを祈る中で、何度か幻を見て、この戦争が神の御心に反したものであることを明確に示され、日本に対する神の正しい裁きと憐れみを求めて祈らされたそうです。
また、私の聖書学院卒業時の学院長であった故・岡村謙一氏は、日本陸軍に牧師職から徴兵されましたが、軍規に反し、訓練中に支給された小銃を撃たなかったというような理由で軍法会議に掛けられ、九州小倉の陸軍刑務所の独房へ収監されていました。しかし、彼も御霊に示されて、日本と小倉に大変な危険が迫っていることを察知しました。そして昭和20年夏に汗だくになりながら祈り続けていたところ、米軍機が搭載した原子爆弾が、当初は小倉への予定だったが天候不良で長崎へ投下されたことを終戦後、投獄生活から解放されて初めて知って驚いたと証ししていました。
このようにリバイバル時には、御霊に迫られて、とりなしの祈りを捧げる人が数多くいました。しかも個人的な問題の祈りはもちろんのこと、国家的レベルのとりなしの祈りが多かったのも特徴的です。昭和のリバイバルから様々な教団・教会・団体などが結果として分離分裂なども経験しながら生み出されていきました。より具体的には、大勢の救われた魂、海外宣教の飛躍的前進、社会福祉への貢献等多岐にわたります。リバイバルの火を通して、そのことから現代に生きる私たちも手本にしなければならないものがいろいろあると思います。
その中の一つとして、祈りを挙げることができます。現在、世界各地から報じられてくるリバイバルは、祈りが強調されないリバイバルが一つもありません。私は聖書学院での祈祷会で当初は疑問に思い、祈れなかった祈りがありました。教団では三大祷告と言っていますが、これが私とっては大変な代物でした。学院の先輩たちは朗々と立て板に水の塩梅で祈祷会や早天でほとんどこの祈りを中心にして、一時間びっしりと周りを気にせず一斉祈祷していきます。他教団出身の私は、当初はただ水槽の金魚の口のように、口パクパクで祈っているふりが精一杯でした。
三大祷告に関しては以前、月刊『ハーザー』誌に石井秀和氏が、よく調べて肯定的で公平な立場で連載執筆されていました。昭和のリバイバルを推進した霊的原動力の一つが、この祈りにあったと私は理解しています。それは非常に滅私的な祈りのカテゴリーに入ると思います。リバイバルを経験したホーリネス系諸教団で、今でも教団レベルで祈っているのは基督兄弟団と基督聖協団ではないかと思うのです。毎年のキリスト教年鑑などに掲載されている教団・教派の特色から観ても、この二つの教団が今なお、紆余曲折はあるにせよ、三大祷告を教団の特色として位置付けていることが明白です。
基督兄弟団と基督聖協団の特色を順に抜粋してみます。「聖霊を崇め、祈祷を重んじる。特に主の再臨、イスラエルの救い、祖国の救いのために祈り、祈祷と宣教に励んでいる」「常に聖霊を崇め、祈祷に重点を置く。特に主イエス・基督の御再臨、選民イスラエルの救いと預言的な回復、日本民族のリバイバルのために祷告し、新約の祭司として祈祷と宣教に励むものである」。
1931年5月にリバイバルが興り、爾来様々な中を通過して約八十年が経過していますが、教団として祈りのメインに、前述の三つの特色を掲げているのはホーリネス系ではこの二教団です。ただし、日本のリバイバルは日猶同祖をリンクさせていない点に留意すべきだと思います。時代は変わったと思います。宮城に赴任してきた当初は、これらの祈り、特にイスラエルの救いを毎日、プライベートでも教会の祈祷会でも祈っていますと言うと、ほとんど怪訝な顔付きが返ってきました。
しかし、現在では救済論の範疇から観ても、イスラエルの回復、民族的な救いを疑問視する神学的な立場が実は疑問視されています。そのようなことが千数百年ぶりに世界的規模で復活してきているという、心躍る回復が進展している時代に遭遇していることの幸せを日々、実感しています。
田中時雄(たなか・ときお):1953年、北海道に生まれる。基督聖協団聖書学院卒。現在、基督聖協団理事長、宮城聖書教会牧師。過疎地伝道に重荷を負い、南三陸一帯の農村・漁村伝道に励んでいる。イスラエル民族の救いを祈り続け、超教派の働きにも協力している。