今年4月に宮崎県で口蹄疫が発生してから約3カ月が経過した。今月16日には同県全域で非常事態宣言が解除される予定だったが、新たな感染牛が発見され延期となった。農家や市民らの間には落胆の思いがあるだろうが、新たな感染がなければ27日には県内すべてで制限が解除される見込みという。
発生直後から指摘されていたのは「対応の遅さ」だ。行政の対応に怒りを隠せない農家の声がメディアを通じて流れた。感染が見つかれば飼育する家畜全頭を殺処分しなければならないなど口蹄疫の被害は大きい。生活がかかっているだけに農家は切実だ。農家と行政の間にあった温度差は、口蹄疫という「危機」に対する意識の違いと当事者意識の差にあった。
クリスチャンも一つの備えをしている。「イエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる」(使1:11)、イエス・キリストの再臨だ。クリスチャンはキリストが再び来られることを信じているが、果たしてそれを日々心にとめているであろうか。日常に埋もれ、聖書が約束するその日を忘れて生きてはいないであろうか。たとえこの約束を知っていても、それに対する意識の違いが大きな差を生む。
今回の口蹄疫被害では、ある農家は発生前から危機感を感じ行動を起こしていた。同県で口蹄疫が発生する前に、韓国や中国で口蹄疫が発生し猛威を振るっていたのだ。それを知るやすぐに情報を市に伝え警戒を呼び掛けるよう求めた。市は3月下旬、広報誌に警戒を呼び掛ける告知を出した。意識の違いがこの兆しをキャッチし、実際の行動を起こさせた言える。
我々クリスチャンも、「空や地の模様を見分けることは知っているのに、どうして今の時を見分けることを知らないのか」(ルカ5:56)と主に咎められないためにも、「目を覚ましていなさい」(マタイ25:13)との忠告を真摯に受け止め、その日のために万全の備えをしたい。